2014 年 8 巻 p. 81-93
J. ボードリヤールの消費理論において余暇と自由時間の不可能性が繰り返し論じられているのは単なるニヒリズムからではない。『消費社会』をはじめとするその初期の仕事では、外部性を喪失した自己準拠的システム、超越性の解体、記号的なコミュニケーションの跋扈、そして構造=関係的因子の過剰による主体性の消滅といった問題点が呈示され、その各々に貨幣、記号論、人類学、精神分析などの諸理論が援用されることで、多様な思想史的射程を背景に消費社会のシステム論的読解が試みられる。翻ってこれらの問題は、余暇領域において時間の強迫観念的な交換価値化、「気遣い」の過剰、主体性の裂開という様々な矛盾をもたらすことになる。逆に言えば現代的な余暇活動に積極的意義を見出すならば、そのような単一な自己準拠的システムからの脱出が試みられる限りにおいてに他ならないのである。ボードリヤールは、資本=科学の駆動があらゆるモノを可換化し、人間学的に形成された様々な象徴秩序を解体させていく様子をその外側からリアリスティックに描こうとする。それは、聖俗の秩序が完全に消失し、平板化した記号的現実の日常のもとに演ぜられる、擬態的なシミュレーションの世界の到来を予測させるものであった。