現代社会学理論研究
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8 巻
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  • 理論と実践のはざまで
    早川 洋行
    2014 年 8 巻 p. 1-2
    発行日: 2014年
    公開日: 2020/03/09
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  • 秋葉 昌樹
    2014 年 8 巻 p. 3-13
    発行日: 2014年
    公開日: 2020/03/09
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    近年、教育現場の質的調査研究において臨床的研究の必要性が注目されつつある。教育実践を対象とする臨床的研究には教育現場に根ざし、問題の解決に資する研究であることが求められているが、そうした文脈で焦点の一つになっているのが、研究対象に対する知見のフィードバックを巡る問題である。本稿では、まずこの問題の背景が、質的調査によって知見として提示される知識が、研究対象コミュニティにおいて産出される日常知がもとになっている一方、知見産出の主体が研究者サイドにあるという、知見産出を巡る構造にあることを指摘した。
    その上で、その構造がもたらす臨床的研究としての可能性と限界は、質的調査の中でも日常知に照準を合わせた理論的、方法論的立場を採るエスノメソドロジー研究の場合、どのような形で現れるのかについて、筆者の研究経緯を批判的に振り返りながら考察した。
    最後に、本稿では、知見産出を巡る上述の構造を乗り越え、研究対象自体が産出主体ともなる可能性を秘めた方法論として、演劇を用いた社会教育実践の方法であるフォーラムシアターをとりあげ、その特徴にはエスノメソドロジー研究の新たな手法として位置づけられる可能性があることを示した。
  • 原発事故と「復興」をめぐる一考察
    橋本 摂子
    2014 年 8 巻 p. 14-25
    発行日: 2014年
    公開日: 2020/03/09
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    本報告は、原発事故後の福島の現実、特に「復興」をめぐる住民の分断と現地を覆う閉塞感についての、社会学的(かつ、多分に私的)見地からの一考察である。震災直後から、福島では復興を掲げ数多の取り組みが始められたが、被ばくリスク認識における性・世代間のギャップは埋められず、住民間の温度差は加速しているように思える。その背景には、除染の困難、健康被害の不確定性、依然続く補助金・交付金行政など被災地特有の事情に加え、今回の「災害」に対する住民間および福島内外をまたぐ共通理解の欠如がある。深刻な放射能汚染をもたらしたこの惨事について、原因はどこにあり、その本質は何だったのか、利害や立場を超えて出来事の意味を問う姿勢がほとんどないまま、ただ「復興」という言葉だけが一人歩きを続けている。
    こうした現状から、本報告ではH. アーレントの「範例的妥当性」という概念を手がかりに、原発事故を社会的不正義の観点から捉える1 つの視座を提起したい。福島の被害を「不正」だと感じるわれわれの共通感覚の源泉は、被ばくリスクの負担を貨幣価値に換算し、困窮する過疎地の人びとへ残酷な選択肢を突きつけたことにあるのではないだろうか。社会理論とは意味を扱う学問である。復興の前に何を正さねばならないのか、何を繰り返してはならないのか、出来事の意味を繰り返し問うことは、震災によって社会学に課された仕事でもあるだろう。
  • 道の半ばで
    大畑 裕嗣
    2014 年 8 巻 p. 26-38
    発行日: 2014年
    公開日: 2020/03/09
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    本稿の目的は、社会学理論と社会的現実の関係を検討するために、社会運動論における「理論と実践」の問題を再考することにある。かつての社会運動論にとって、理論と実践の関係づけは核心的な課題だった。「理論」の中心にあったのは、代替的社会構想であり、「実践」の中心にあったのは、言うまでもなく運動実践だった。しかし、資源動員論/政治過程論や「新しい社会運動」論、とりわけ日本におけるそれらの受容形態においては、このような意味での「理論と実践」の関係は見失われてしまった。現代の社会運動論において「理論と実践」の問題を再設定する、言いかえれば、現代社会の状況にふさわしく社会構想と社会運動を結びつけるためには、個々の運動研究者が自らの「中心的な問い」をはっきり自覚するところから始める必要がある。筆者の「中心的な問い」は韓国の民主化と社会運動の関係に関するものである。そこにおいて、未達成の「不定形の民主化」という社会構想と、個別的な運動実践が結びつく経路が見出される。このようにして社会学理論と社会的現実は媒介されるが、以上の論議は、今日の社会学理論の内実に関して、ある深刻な疑義を示すものでもある。
  • ジュディス・バトラーによる「主体化」論を手引きに(1)
    郭 基煥
    2014 年 8 巻 p. 39-54
    発行日: 2014年
    公開日: 2020/03/09
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    昨今、コリア系住民、特に在日韓国・朝鮮人を標的にしたヘイトスピーチが急速に広まっている。本稿では、まずは、ヘイトスピーチと、それを実践している在特会などの排外主義的な団体の拡大について、社会心理学的説明と社会運動論からの説明の両方を批判的に検討する。その上で、この問題を考えるには、その実践者たちには意識されないまま、その行為に駆り立てている原因、いわば「背後の原因」を探求する必要があることを論じる。また、この問題を現場のリアリティを視野に収めて考えるとき、ヘイトスピーチを【恍惚的な嫌悪の表明】として捉えることが適切であることを論じる。では、【恍惚的な嫌悪の表明】はいかにして「背後の原因」から説明できるだろうか。
    本稿では、イデオロギーと主体化に関わるルイ・アルチュセールの理論と、それについてのジュディス・バトラーの解釈を手掛かりに、この問いに答えることを試みる。これを通して、最終的には、ヘイトスピーチに見られる在日韓国・朝鮮人への激しい嫌悪が、主体化以前の様態にある自分自身への嫌悪の投影であることを示す。またデモにおいて見られる恍惚感が、大文字の主体の元で小文字の主体として包摂されることによってもたらされるものであることを論じる。最後に、理論的な考察から導かれるヘイトスピーチの理解に基づくとき、理論的には適切と考えられる対処の仕方が何であるのか、問題提起を行う。
  • グローバル化時代の新たなオルタナティブとしてのアクチュアリティと困難性
    鈴木 弥香子
    2014 年 8 巻 p. 55-67
    発行日: 2014年
    公開日: 2020/03/09
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    現在、グローバリゼーションの進展によって様々な変容が社会に対して迫られ、多方面で弊害が生じており、それに対してどう対応するかという新たな社会構想を描く必要性が増しているが、その試みはこれまで進展してこなかった。本稿では、新たな構想としてコスモポリタニズムに着目し、それがアクチュアリティを持つ考えであると同時に、実践するにあたってはある困難性を有していることを明らかにする。コスモポリタニズムは、近年グローバリゼーションの進展に呼応するようにヨーロッパ圏を中心として盛んに議論されている一方で、日本においてはその検討が不十分であるのが現状である。そこで第一に、コスモポリタニズムの中でも政治的な変革に関連する議論を、「規範的」なものと「記述的」なものに区別し、整理する中で、そのアクチュアリティを明らかにする。第二に、同概念をより具体的な実践として考えるため、政治的な変革に関わるコスモポリタニズムの議論の多くがコスモポリタンな実践の条件となるグローバルな連帯の存在を自明視、過大評価しているという問題について検討を行う。その中で、連帯を「弱い連帯」と「強い連帯」に分けて考える必要性を提起し、グローバルなレベルでは「弱い連帯」は見られるものの「強い連帯」の構築は困難であることを指摘し、コスモポリタニズムの実践における困難性を明らかにしながらも、EUにおける金融取引税という事例から新たな可能性についても素描する。
  • コーネルにおける「イマジナリーな領域」概念の再検討
    大貫 挙学
    2014 年 8 巻 p. 68-80
    発行日: 2014年
    公開日: 2020/03/09
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    本稿は、D. コーネルの「イマジナリーな領域」概念を、J. バトラーにおける「批判的脱主体化」を手がかりに再検討するものである。
    コーネルは、自分が何者であるかを自由に再想像できる「心的空間」として、「イマジナリーな領域」という概念を提示する。しかし、コーネルが「女性的なるもの」をメタファーによって再形象化すべきだと述べるとき、彼女の本質主義批判にもかかわらず、起源としての「共同性」を再び立ち上げてしまう危険性がある。
    一方、バトラーのいう「批判的脱主体化」は、カテゴリーの絶えざる置換を強調するものといえる。バトラーは、言語行為の歴史性に着目することで、パフォーマティヴな攪乱の可能性を論じているが、ここでの歴史性は〈過去→現在→未来〉という通時性を意味するものではない。ある言語行為が依拠しうるコンテクストそれ自体は、一義的に決定できるものではないのだが、それは、言語行為の瞬間において過去と未来が召還されるからだ。「未来」への志向としての「批判的脱主体化」の契機は、「現在」を語ることのなかにある。
    かかる視点にもとづけば、「イマジナリーな領域」を、「批判的脱主体化」を可能にする「心的空間」と解すべきだろう。このような再定式化によって、アイデンティティの再想像についての理論的な見通しを示すことができる。
  • 高度大衆消費社会におけるシステム・サーヴィス・個性
    石川 洋行
    2014 年 8 巻 p. 81-93
    発行日: 2014年
    公開日: 2020/03/09
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    J. ボードリヤールの消費理論において余暇と自由時間の不可能性が繰り返し論じられているのは単なるニヒリズムからではない。『消費社会』をはじめとするその初期の仕事では、外部性を喪失した自己準拠的システム、超越性の解体、記号的なコミュニケーションの跋扈、そして構造=関係的因子の過剰による主体性の消滅といった問題点が呈示され、その各々に貨幣、記号論、人類学、精神分析などの諸理論が援用されることで、多様な思想史的射程を背景に消費社会のシステム論的読解が試みられる。翻ってこれらの問題は、余暇領域において時間の強迫観念的な交換価値化、「気遣い」の過剰、主体性の裂開という様々な矛盾をもたらすことになる。逆に言えば現代的な余暇活動に積極的意義を見出すならば、そのような単一な自己準拠的システムからの脱出が試みられる限りにおいてに他ならないのである。ボードリヤールは、資本=科学の駆動があらゆるモノを可換化し、人間学的に形成された様々な象徴秩序を解体させていく様子をその外側からリアリスティックに描こうとする。それは、聖俗の秩序が完全に消失し、平板化した記号的現実の日常のもとに演ぜられる、擬態的なシミュレーションの世界の到来を予測させるものであった。
  • 冨田 和幸
    2014 年 8 巻 p. 94-106
    発行日: 2014年
    公開日: 2020/03/09
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    「認識による自由(解放)」を社会学の使命とするBourdieuにとって、「意識の覚醒(prise de conscience)」は象徴暴力に抗する武器であり続けていた。しかるに、この「意識の覚醒」に対し、特に『パスカル的省察』(1997 年)、『男性支配』(1998 年)の段階において、一転してBourdieuはその限界を執拗に指摘し始める。ある論者は、こうした彼の姿勢の変化の背後に「象徴暴力論のもうひとつのヴァージョン」が控えていると主張する。本稿は、このような主張に対し、この彼の姿勢の変化は、彼の象徴暴力論の質的変化と何ら関係するものではなく、主知主義(intellectualisme)、具体的には、「表象を変えることで現実を変えることができる」という考えと、彼自らの立場(特に象徴権力という考え)との差異化を図ろうとする過程の中で生じたものであることを示すものである。また、最後に、「認識による自由(解放)」という彼の社会学の使命それ自体と、主知主義との関係性をめぐる疑問点を提示して本稿の結びとする。
  • 日韓における社会理論の現在と未来
    油井 清光
    2014 年 8 巻 p. 107-116
    発行日: 2014年
    公開日: 2020/03/09
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  • 数土 直紀
    2014 年 8 巻 p. 117-121
    発行日: 2014年
    公開日: 2020/03/09
    ジャーナル オープンアクセス
  • 佐藤 成基
    2014 年 8 巻 p. 122-126
    発行日: 2014年
    公開日: 2020/03/09
    ジャーナル オープンアクセス
  • 藤村 正之
    2014 年 8 巻 p. 127-131
    発行日: 2014年
    公開日: 2020/03/09
    ジャーナル オープンアクセス
  • 今田 高俊
    2014 年 8 巻 p. 132-137
    発行日: 2014年
    公開日: 2020/03/09
    ジャーナル オープンアクセス
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