印旛沼は江戸時代以来,繰り返し干拓事業が試みられてきた湖沼である。しかし,その目的は不変ではなく,新田開発,国防,舟運と全国市場の形成,工業用水開発と,時代状況を色濃く反映して,干拓目的は変わってきた。他方で,首都(江戸,東京)近傍に位置するという地理的要因を反映し,干拓計画には時代を代表する技術者が関わってきた。享保の干拓には井沢為永,明治初頭にはファン=ドールン,ヨハネス=デ・レーケ,古市公威など,北総地域のローカルな関心を超えた,国家的関心が注がれてきたのである。 現在の印旛沼は,そうした干拓計画の到達点なのであり,その歴史には「時代のありよう」が色濃く反映しているのである。「変わりゆく目的と変わらぬ重要性」が,印旛沼干拓の近現代史である。