2023 年 2023 巻 25 号 p. 26-37
薬剤誘発性の心毒性は、それを服用する患者の健康を危険に曝すことにつながる。そのリスクを避けるためには、薬剤開発初期の非臨床研究の段階において正確かつ効果的に心毒性評価を行わなければならない 1-3)。近年、薬剤性QT延長症候群のリスク予測を始めとする心臓電気生理学的評価は、日進月歩の発展を遂げている 4-9)。しかし、薬剤による心血管系リスクは、電気生理学的パラメータの異常のみならず、心機能の異常によっても、もたらされる。特に心臓の収縮性、すなわち、変力作用は心機能を語る上で欠かすことができない。内分泌の変化あるいは薬剤投与などの化学的変化により生じる心臓の収縮性の変化は、心筋固有の特性に帰着する。そして、その心筋固有の特性は、収縮開始直前に心筋にかかる前負荷、及び収縮中に心筋にかかる後負荷とは独立している。例えば、変力作用の指標としてよく用いられている左室圧最大立ち上がり速度(LV dP/dtmax)は、前負荷と後負荷が一定の場合のみ適切な指標として用いることができる 10)。また、心電図のQRS波の起点から体動脈圧の立ち上がりの始点までの時間であるQA間隔も、しばしば変力作用を反映するパラメータとして用いられる 11-13) が、電気的刺激から昇圧開始までの潜時、等容性収縮期の収縮時間、及び血圧脈波の伝播時間の影響を受ける 14)。つまり、LV dP/dtmaxとQA間隔は変力作用の指標としてよく用いられるものの、心臓の収縮性そのものは正常でも変動してしまうことがある(表1)。しかし、これらのパラメータは左室テレメトリー法で取得可能であることと解析の容易さもあって、非臨床研究では、依然としてこれらのパラメータに依存している 15)。磁気共鳴CT検査や超音波心エコー法といった画像診断も有用なツールとされるが、大規模な設備が必要となること、評価技術の施設間差、あるいは前後負荷から独立した心収縮性パラメータ取得が困難であることなど、いくつか利便性を欠く点がある。以上のように、非臨床研究における心機能評価方法にはまだ改善の余地がある 16)。これらの問題点を解決する方法の一つに左室-圧容積(PV)の関係を用いた心機能評価がある 17)。心臓のポンプ機能の特性から、左室圧と左室容積の関係をX軸及びY軸にそれぞれ連続的にプロットしていくとループが描かれることはよく知られており、このPVループの面積は、心臓の一回仕事量に相当する。つまりPVループ解析により、一回仕事量と左室容積の関係を調べることができる。さらに、心臓への負荷条件を変化させると一回仕事量と拡張終期容積も変化していくが、その関係性は一本の直線上に乗ることが知られている。これは収縮性の程度に対して一義的であることを示し、左室負荷の変化とは独立して心筋の収縮性を正確に反映していることを示す。そしてこの直線の傾斜は、収縮性の増加で急峻になり左方へ移動し、収縮性の減少で鈍化して右方へ移動する(表2)。近年のPVカテーテル技術の改善により、アドミタンス法による左室(LV)PVの正確な測定が可能となった。この方法は、血流と心筋細胞のキャパシタンスを含む心筋のコンダクタンス要素を組み込んでいる 18-20)。このPVループ法を用いた非臨床研究は主にげっ歯類で行われている 21,22)。非げっ歯類、特にサルを用いた研究データは毒性学分野では依然として重要な位置を占めており 23)、心血管系安全性プロファイルの評価を行う安全性薬理試験においてもしばしば用いられている 9,24)にも関わらず、PVループ法を用いた心機能評価の報告はほとんどない。
本稿では、カニクイザルにおけるPVループ法による評価手法を紹介するとともに、薬理作用のよく知られているホスホジエステラーゼⅢ(PDE3)阻害薬であるミルリノン、代表的な選択的アドレナリンβ1受容体遮断薬であるメトプロロール、クラスⅢ抗不整脈特性を有する非選択的アドレナリンβ受容体遮断薬であるdl-ソタロールをそれぞれカニクイザルに投与した際の心血管系パラメータの変動とその解釈について述べる 25)。さらに、ヒト上皮増殖因子受容体2(ErbB2/HER2)を標的とするヒト化モノクローナル抗体であり、臨床において心機能不全を誘発することが知られているトラスツズマブの評価結果についても紹介する 26)。