2010 年 13 巻 1 号 p. 78-87
100 年前と異なり,evidence-based medicine (EBM)全盛の時代において,臨床医は研究というものからかなりの距離感を持って,日常臨床に携わっているように見受ける.しかし,一見研究とは何のかかわりもないと思われる日常臨床の現場で,臨床医は患者を観察し患者に起こっていることを洞察する事から,病態の診断治療を行い,その都度結果の検証をしている.そこには反省があるであろうし,仮説が生じる場合もあり,この仮説を実証しようとする事もある.これをまとめたものが症例報告である.そこで生じた仮説を実証しようとする姿勢はすでに研究と言って良い.この症例報告はEBMの観点からは臨床判断の根拠となるものの中で最下等と言われているが,同様症例の蓄積,発生率の調査,対照群との比較など後ろ向きの検討を経て,前向きの臨床研究につながる可能性があり,将来,臨床判断の重大な決定材料になる発展性も持っている. 従って,すべての臨床医は個々の患者が発するサインを見逃さず,確実に読み取り,対処法を模索し,その経験を臨床判断の拠り所にまで押し上げるよう努力する事が求められる.これがそのサインを発してくれた患者に対する臨床医の負うべき責務であり,これこそが臨床医が行うべき研究である.指導医は,研究心の涵養に心掛けて,研修者の指導に当たらなければならない.