季刊地理学
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論説
1822(文政5)年の有珠山噴火に対するアイヌの人々の状況判断と主体的行動
遠藤 匡俊
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2017 年 68 巻 4 号 p. 262-283

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抄録

1822年3月23日に有珠山から噴出した火砕流・火砕サージがアブタ集落を襲い,6人の和人と72人のアイヌの人々が死亡した。一旦は遠方へ避難していたにもかかわらず,噴火の前日にアブタ集落周辺に帰って死亡した理由については不明であった。本研究の目的は,アイヌの人々が有珠山の噴火の状況をどのように解釈して行動していたのかを復元し,噴火前日夕方の大雨のなかを避難先からアブタ集落へ帰った理由を明らかにすることである。

3月12日に有珠山は噴火し始めたので,和人の責任者は山麓周辺の人々に10 kmほど遠方のベンベ集落まで避難するように指示した。多くの和人の人々はこの指示に従い避難した。しかし,アイヌの人々や善光寺の和人の僧侶たちはその避難の指示が届く前に,既に避難し始めていた。

アイヌの人々は,悪神が有珠山を噴火させているので,善神に鎮めてくれるように祈った。3月23日早朝に火砕流・火砕サージがアブタ集落を襲った。その前日の夕方の4時ころからは大雨となっていた。アイヌの人々は大雨と少ない噴煙をもって,有珠山を噴火させている悪神が善神に対して劣勢になりつつあると解釈した,と推測される。そのために,アイヌの人々はアブタ集落の自宅に一時的に帰っていたと考えられる。

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© 2017 東北地理学会
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