季刊地理学
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短報
岐阜県高山市における朴葉の採集活動と販売・加工の展開
中村 有希米田 康晟木村 修万
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2026 年 78 巻 2 号 p. 79-88

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要旨

本研究は郷土料理や観光客の土産品として利用される自然資源の一例として,岐阜県高山市の朴葉の採集を取り上げ,朴葉採集者の採集活動や調達の形態を分析することから,朴葉の採集がどのように展開しているのかを明らかにした。朴葉採集者への聞き取り調査で得たデータをもとに,朴葉の採集活動について分析し,各人の朴葉の採集や調達が,朴葉の用途に応じてどのように展開しているのかを考察した。その結果,自生するホオノキから天然の朴葉を採集する方法に加えて,私有地や私有林にホオノキを植樹し採集する方法がみられた。労働力不足や山林利用をめぐる権利の厳格化など採集者を取り巻く条件が変化するなか,採集者自らの経営規模や保有労働力に応じて合理的な調達方策をとっていることが明らかになった。

I. はじめに

1. 研究課題

ローカルな自然資源の利用は,地理学や隣接分野で長らく研究対象として取り上げられてきた(池谷, 1984, 1989; 野中, 1989, 1991)。近年では,ローカルな自然資源を利用した郷土料理が家庭で作られなくなりつつあるなど,食文化の継承が困難になっている状況や(中澤, 1984; 柏尾, 2023),観光利用や地域活性化の手段に用いられる様子も検討されるようになった(中村, 2012; 藤岡ほか, 2015; 手代木ほか, 2016; 小林, 2020; 林, 2023)。これまで,地理学における,ローカルな自然資源の利用に関する研究では,採集行動や採集にともなうローカルな慣習が分析され,対象となる自然資源を持続的に利用可能とするための,暗黙知や採集に関わるローカルな慣習の重要性が明らかにされてきた(池谷, 1984, 1989; 野中, 1989, 1991)。さらに池谷(1984)は,ダム建設計画などの地域外からもたらされる社会的条件の変化によって,採集するためのローカルな慣習が消失することも明らかにしている。

他方,こうしたローカルな地域で採集されてきた自然資源については,当該地域や周辺地域の郷土料理として利用される事例もみられ,地誌的な報告が重ねられてきた(中村, 2017; 林, 2023など)。各地で継承されてきた郷土料理は時代の経過とともに家庭では作られなくなり,自家消費用であっても世帯外の専門業者によって作られるようになってきている(中澤, 1984; 柏尾, 2023)。さらに,かつて自家消費を目的として世帯内で作られていた郷土料理は,近年では販売用につくられるようにもなってきている(手代木ほか, 2016)。例えば藤岡ほか(2015)八塚(2018)は滋賀県高島市朽木地域のトチモチを事例に,1980年代のむらおこし事業のなかで,トチモチが観光客への販売を主⽬的として特産品化されたプロセスを描いている。

以上のことから,郷⼟料理がその生産目的や主な担い手を変化させながら継承されてきたといえる。とくに,ローカルな自然資源を⽤いた郷土料理や土産品が,観光利⽤の文脈の中で続いている点は重要である。先述の藤岡ほか(2015)は特産品化により生産量が増加し,原材料が当該地域での採集で完結していたものから,他地域の原料も使⽤するようにもなっていることを明らかにしている。また八塚(2018)は2012年の時点では原料の一つであるトチノミや加⼯に用いる灰は地域外から調達されており,ローカルな資源の越境を明らかにしている。そのうえで,原材料の調達範囲の広狭に問題を矮小化することに疑義を投げかけている。むしろ問うべきは,地域住民が生産を継続させるために,どのように地域内外に広がるネットワークを駆使し,いかに⽣産技術を継承してきたのかであると主張する。

このようにローカルな食文化の商品化による自然資源の調達は,従来とは異なる方法がとられる事例もみられる。ただしこうした研究事例は少なく,対象とされている自然資源にも偏りがある。そこで,本研究は観光資源として活⽤されている郷⼟料理や⼟産品について,その原材料となるローカルな自然資源がいかに調達されているのかという実践に注目し,岐阜県高山市の朴葉の採集を事例に明らかにすることを目的とする。具体的には,朴葉採集者の採集活動や調達1)の形態,採集場所や採集時期,ホオノキの植樹時期,販売方法をもとに検討する。

高山市の観光入込客数はコロナ禍前の2019年に約473万人で,コロナ禍の収束前の2022年でも約308万人と多い2)。多くの観光客は土産品として「高山」のローカルな食材や工芸品などを購入・利用していると推測できる。朴葉味噌をはじめとした朴葉を利用した加工品は高山市を含む岐阜県北部の観光客向けの朝市やほとんどの道の駅で土産品としてみられ,上記の研究目的を検討するために好適な事例と考えられる。

研究の手順として,IIで各種史資料をもとに朴葉を利用する食文化を概観し,IIIで朴葉採集者への聞き取り調査で得たデータをもとに,朴葉の採集活動について分析する。IVでは,各人の朴葉の採集や調達が,朴葉の用途に応じてどのように展開しているのかを考察し,Vで結論を述べる。現地調査は2023年8月に高山市で朴葉または朴葉加工品の販売をおこなっている22名に,電話と対面で朴葉の入手先を質問した。22名については,朝市や道の駅,通販からの販売情報をもとに可能な限り抽出した。このうち自身や家族,自社で採集をおこなっていると回答した11名に対面での聞き取り調査を実施し,朴葉の採集場所や方法といった採集活動のデータを得た。そのため,自給目的のみで朴葉を採集している者のデータは得られていない。なお,事実関係に関する記述について,特段の注記のない限り,聞き取り調査に基づいたもので,本文中で用いる「現在」は2023年8月現在とする。

2. 研究対象地域の概要

研究対象地域とした高山市は岐阜県北部に位置し,面積は2,177 km2である。現在の高山市は2005年に朝日村と上宝村,清見村,久々野町,国府町,荘川村,高根村,丹生川村,宮村との合併によって成立し,日本で最も大きい市域を有する(第1図)。高山市の中心部には宮川や川上川によって形成された沖積平野が広がり,山麓では河岸段丘に面した扇状地や緩斜面がみられる。約2,500 mの標高差があり,市域の約92%は林地である3)。2020年国勢調査によると,高山市の総人口は84,419人で,高齢化率は33.4%となっている。地域別にみると,中心市街地では人口が維持されている一方で,周辺の旧町村地域では減少傾向にある。産業別就業者数をみると,第一次産業が10.5%,第二次産業が22.4%,第三次産業が67.1%と,高山市の主要な雇用は第三次産業に集中している。

高山市には国内外から多くの観光客が重要伝統的建造物群保存地区をはじめとした歴史・文化的施設や行事を目的として訪れている。こうした観光目的地周辺の飲食店や宿泊施設では,朴葉を利用した加工品(以下,加工品)が提供されている。

朴葉とは,ホオノキの葉の総称であり,青朴葉と枯れ朴葉に大別される。青朴葉は主に朴葉もちや朴葉ずしに,枯れ朴葉は朴葉味噌や朴葉もちに利用される。朴葉味噌とは,枯れた朴葉の上に味噌をのせ七輪や囲炉裏で焼いた料理であり,現在では高山市にのみならず岐阜県北部の広い範囲で定番の土産品となっている。朴葉もちとは,つきたての餅を朴葉で包み,両面を焼いて朴葉の香りをつけた郷土料理であり,夏季には青朴葉,秋季から春季にかけては枯れ朴葉を利用する。これらは飛騨地域においてお盆の時期に各家庭で作られてきたが,近年ではその機会が少なくなっている。以上のように,高山市では,朴葉を用いた多様な加工品がみられる。

第1図  研究対象地域

II. 高山市における朴葉を利用する食文化

高山市において,朴葉は明治期初期にはすでに,一般家庭で日常的に利用されてきた(田口, 1986)。朴葉には抗菌作用のあるヒノキチオールという成分が含まれている。そのため,朴葉もちや朴葉ずしは,夏季の農作業などの合間に食べられることが多かった(西脇, 2023)。また,食器の代わりとして食材を包むことや味噌樽,漬物桶の蓋にも使用され,1年を通して日常的に利用されてきた。かつては,囲炉裏の灰の上に朴葉を直接置き,それ自体を調理器具として漬物や味噌を焼いていたという(田口, 1986)。

朴葉の利用形態は1950年代に変化した。大正期から昭和初期にかけては,各家庭で日常的に朴葉味噌を焼いたという(早船, 2006)。また,1950年代までは囲炉裏を備えた家屋が一般的であり,朴葉を自宅で利用する機会も多かった。しかし1950年代以降,食品用ラップフィルムやアルミホイルなどの代用品が普及し,朴葉の日常的な利用機会は減っていった。そして1960年代以降には,ホテルや旅館の朝食で朴葉味噌が提供されるようになった(松田, 1969, p. 121)。

現在,一般家庭で朴葉を利用する機会は少なく,主にお盆の朴葉もちや朴葉ずしの調理に限られている。また,朴葉味噌については,朝市で朴葉味噌を販売する採集者ですら,年に1回食べる程度である。このように,現在では一般家庭で日常的に朴葉が利用されることは少なくなり,主に宿泊施設や飲食店での提供や土産品といった目的で利用されるようになっている。

朴葉は単体で販売されることは少なく,加工品で販売されることが多い。朴葉味噌や朴葉もちは,主に朝市や道の駅,土産品店などで,朴葉ずしは地元資本の小売店で販売されている。また,朴葉もちや朴葉味噌は購入後に簡単な調理を必要とするが,朴葉もちについては,購入後の調理方法が分からない若年層が増え,購入者も減っているという。

III. 朴葉の採集活動の動向

1. 採集者の特徴と販売方法

朴葉の採集者は,主な販売先が朝市の者と朝市以外の者に大別される。主な販売先が朝市である採集者は,60歳代以上が半数を占め,家族経営の農業従事者が多い。朝市で販売されている加工品は,朴葉もちと朴葉味噌,朴葉の3種類であり,このうち朴葉もちを販売する者が多い(第1表)。採集者の業務形態は,大きく2つに分けられる。一つは,採集から加工,販売までを採集者自身が一貫して担う,または関与する場合(No. 1, 2, 4)である。もう一方は,採集者は採集のみを行い,加工から販売までは朝市で販売を担う者が担当する場合(No. 3, 6, 7, 8)である。販売開始の時期に着目すると,No. 1, 3, 5, 7は1960年代~1970年代にかけて朝市で加工品の販売を開始しており,いずれも朴葉以外の商品も取り扱っている。さらに,採集者は複数で構成される例もあり,No. 6は親子で採集をしており,子は30歳代である。No. 8では親子に加えて,シルバー人材センターから派遣された労働者も採集に従事している。

販売先が朝市以外の採集者では,No. 9のように個人で採集し道の駅で販売している事例と,No. 10, 11のような食品製造業者が問屋や地元資本の小売店などに卸している事例がみられた。No. 9, 10, 11のいずれも朴葉や加工品の販売開始時期は1990年代~2000年代中頃と朝市で販売する採集者に比べて新しい。朴葉や加工品を販売し始めた動機については,No. 10, 11では土産品需要を見込んだことが挙げられる。一方,No. 9について,かつては販売目的で朴葉を採集していなかったが,道の駅の開業を機に需要を感じ販売を始めた。

第1表 朴葉採集者の特徴

No. 性別と年齢 主な就業 販売商品 1枚あたりの朴葉の値段 販売先 販売開始の時期
時期 動機
1 M(70代), F(70代)■ 農業 朴葉味噌 朝市 1960∼1970年代 朝市での販売を目的に
2 F (-) ■ 農業 朴葉もち 朝市
3 M (60代) 農業 朴葉もち,青朴葉 5∼10円 朝市 1960∼1970年代 朝市での販売を目的に
4 F (-) ■ 農業 朴葉もち 朝市
5 農業 朴葉味噌 朝市 1970年代 朝市での販売を目的に
6 M (60代), M (30代) 農業 朴葉もち,枯れ朴葉 10円 朝市
7 M (70代), M (50代) 農業 朴葉もち,枯れ朴葉 10円 朝市 1970年代 朝市での販売を目的に
8 M (70代), M (30代),その他 農業 朴葉もち,朴葉味噌 朝市
9 M (80代) 2022年に民間企業退職 青朴葉,枯れ朴葉 13円 道の駅 2000年代中頃 商品になると感じた
10 その他 食品製造業 朴葉もち,朴葉寿司,青朴葉 17円 市内小売店,問屋,公設市場 1980∼1990年代 土産物需要を感じた
11 M (50代),その他 食品製造業 青朴葉,枯れ朴葉 20円 問屋 1990年代 朴葉の需要を感じた

注:No.は採集者,Mは男,Fは女,─は不明を示している。

■は左記の採集者が採集と朝市での販売を担っていることを示す。

No. 5への聞き取りは朝市での販売を担う者に実施し,採集者の性別情報を入手できなかった。

No. 4, 6, 7, 10は,注文時のみ朴葉を販売をしている。

「その他」についてはNo. 8が派遣労働者,No. 10が従業員が採集,No. 11は他の採集者からの朴葉を購入。

(聞き取りにより作成)。

2. 採集場所と方法

朴葉の採集場所については,採集量や採集する葉の状態が青朴葉または枯れ朴葉かによって異なる4)第2図)。ここでは採集者を,青朴葉または枯れ朴葉のいずれか一方のみを採集し,年間採集量が10,000枚以下である場合を「小規模採集者」,青朴葉と枯れ朴葉の両方を採集し,年間採集量が10,000枚以下である場合を「中規模採集者」,そして年間採集量が10,000枚を超える場合を「大規模採集者」として分析する(第2表)。

青朴葉のみを採集する小規模採集者は No. 2, 3, 4 である。いずれも植樹したホオノキから採集し,No. 2 は自作農地の畦畔,No. 3 は農地の一部,No. 4は自宅の敷地内に植樹していた(第3表)。枯れ朴葉のみを採集する小規模採集者はNo. 1とNo. 5である。No. 1は自宅から約2 km離れた自身の私有林で採集し,No. 5は他者の土地で落葉したものを採集している。枯れ朴葉のみの採集者はホオノキを植樹しておらず,小規模採集者のなかでも青朴葉または枯れ朴葉かといった採集対象によって採集場所は異なっていた。

中規模採集者はNo. 6, 7, 8である。このうちNo. 8については,約400枚を週に1回または2回採集する。採集期間中における採集枚数の最大値により年間採集量を算出すると,その数は10,000枚を超える。しかし,必ずしも採集期間中に週2回の採集をしないことやNo. 6, 7と同様に朝市を中心とした販売であることから,No. 8は中規模採集者とした。中規模採集者についても植樹したホオノキから採集しており,No. 6は畑付近の平坦な私有地5)に,No. 7, 8は自作農地に植樹している。さらにNo. 8は,採集場所が3か所あり,青朴葉か枯れ朴葉かによって採集場所を使い分けている。

大規模採集者はNo. 9, 10, 11である。No. 9は,青朴葉を私有林,枯れ朴葉を知人の私有林から採集している。どちらの場所でも,自生しているホオノキである。No. 10の採集場所は,ホオノキを植樹した農地と私有林の2か所である。いずれも150本ほど植樹し,青朴葉のみを採集している。No. 11は私有林に約10,000本を植樹しており,対象者のなかでも最も多い採集量である。

No. 1, 5, 9を除く採集者がホオノキを植樹しており,植樹の前後で採集場所が移動していた。植樹する以前の採集場所については,No. 6,7はかつて中心市街地から離れた山間部にある自身の所有する私有林で青朴葉と枯れ朴葉を採集していた。No. 8は青朴葉を自身の私有林から採集する一方,枯れ朴葉は他者の私有林から採集していた。No. 3は共有林から青朴葉と枯れ朴葉を採集し,No. 11は青朴葉のみを私有林から採集していた。No. 3と11は,朴葉以外にも薪やタケノコを採集している。また,No. 11は自身の採集に加えて,朴葉の買い取り広告を掲載し,地元住民が採集した青朴葉と枯れ朴葉を買い取っている。

商品となる朴葉は,虫食いなどによる穴がなく,厚みがあり,さらに青朴葉であれば色の良いものである。また,朴葉もちに使用される朴葉は,葉が固すぎると包んだときに折れてしまい,柔らかすぎると変色を起こしてしまうため,朴葉の硬さも重要な選別基準となる。このような葉の良し悪しを判断する知識は,採集者が日常的に朴葉を利用してきた経験から培われている。

また朴葉の採集場所については,採集者間で共通で認知された慣習がある。その一つが,青朴葉を採集する場合には他者の私有林で許可なく採集できないが,落葉した枯れ朴葉に所有権はなく,他者の私有林でも採集が可能とされていることである。これは明文化されてはいないローカルな慣習である。現在は,獣害防止柵の設置や土地所有をめぐる権利の厳格化によって他者の私有林に立ち入りにくくなっており,枯れ朴葉の採集場所は以前より狭くなっている。

朴葉の採集時期と頻度は葉の状態によって異なる。青朴葉は,6月上旬~9月上旬に採集されている。頻度については,小規模採集者は加工の都度,中規模採集者は2~3日に1回,大規模採集者は毎日あるいは加工の都度,採集している。青朴葉の香りは,採集直後から時間の経過とともに落ちてしまうため,いずれの採集者も鮮度の維持を重視した頻度となっていた。一方,枯れ朴葉は,乾燥による割れを防ぐため,10~11月の「霜が降りたら」,「雨が降った日」,「早朝」といった葉が濡れているタイミングで採集する。採集後は,葉柄を藁で縛って干す。乾燥後,加工の直前に水に浸して戻す。採集者によっては,痛み防止のため,干す前に塩水につけている。枯れ朴葉は青朴葉に比べ採集後の手間が多く,香りも弱いため,朴葉もちを生産する採集者を中心に,注文分のみを採集するか,または採集自体をやめるようになった。

第2図  朴葉の採集場所

注:No. 9は旧清見町,No. 11は旧上宝町から採集。

番号は第1表の聞き取り対象者(No.)と同じ。

(聞き取り調査により作成)

第2表 各採集の時期と採集量

No. 採集時期 年間採集量
青朴葉 枯れ朴葉 青朴葉 枯れ朴葉
1 × 霜が降りたら × 必要な量
2 6月中旬-9月上旬 × 生産分のみ ×
3 6月-8月 × 注文時に必要な量 ×
4 7月前後 × 1度に約100枚 ×
5 × × 1年分
6 6月下旬-8月上旬 10月 約3,060枚 注文時に必要な量
7 6月-8月 10月上旬,霜が降りたら 約3,000枚
8 6月上旬-9月上旬 10月 約10,400枚 約600枚
9 6月 10上旬-11月 約15,000枚 約30,500枚
10 6月上旬-9月上旬 × 約47,000枚 ×
11 6月 × 約80,000枚 ×

注:No.は第1表と同じ。

×は採集をしていない。

-は不明。

青朴葉の年間採集量については,採集期間,採集頻度,1日あたりの採集量,最終製品の生産量と廃棄見込みなどから算出した。

No. 4は採集が不定期であるため,年間採集量は算出していない。

(聞き取り調査により作成)。

第3表 植樹による採集形態の変化

No. 植樹以前の採集 植樹の有無 植樹時期 植樹後の採集
1 植樹なし
2 私有地
3 〇● 私有地
4 私有地
5 植樹なし
6 〇● 私有地 2010年代 青・枯
7 〇● 私有地 1970年代 青・枯
8 〇■ 私有地 2000年代 青・枯
9 〇■ 植樹なし
10 × 私有林・私有地 1980∼1990年代
11 私有林 2000年代

〇:私有林で青 ●:私有林で枯れ

□:私有林以外で青 ■:私有林以外で枯れ

-:不明 ×:採集なし

*:共有林で採集.

注:No.は表1と同じ。青は青朴葉,枯は枯れ朴葉を示す。

(聞き取り調査により作成)。

3. ホオノキの管理と植樹の背景

採集者は,主に下草刈り,剪定,消毒によってホオノキを管理している。下草刈りを行っているのは,No. 6, 7, 8, 10, 11の中規模採集者と大規模採集者である。剪定については,No. 3, 7, 10, 11と規模の異なる採集者が行っている。ホオノキは樹高が約30 mまで成長するため(久々野町史刊行委員会, 2010, p. 213),採集のしやすさを考慮し,剪定により樹高5 m程度に維持している。また,下草刈りや剪定の実施は,植樹を行った採集者にみられる傾向であった。一方,消毒は,2014年のマイマイガの大量発生で朴葉が虫食い状態となってしまったことを契機に始められた。被害発生当時には,朴葉の採集が困難となり,11名のうち7名が採集なし,もしくは少量の採集となった。マイマイガによる被害以降,虫害対策を講じたのはNo. 5, 6, 8である。植樹したホオノキから青朴葉と枯れ朴葉を採集するNo. 6, 8は夏季に消毒をしている。自生するホオノキから枯れ朴葉のみを採集するNo. 5は,予備として多めに採集し,保存する対策を講じている。その他の採集者は,植樹の有無に関係なく「自然のものである」ため,特に対策を講じていなかった。

採集者のほとんどはホオノキを植樹していた。その理由として,小・中規模採集者8名のうち6名から「山に行くのが大変」(No. 2, 7, 8),「山に入るほどの需要がない」(No. 3),「負担を減らすため」(No. 4),「山に行くことで手間がかかる」(No. 6)といった労働力の少なさに起因する回答が得られた6)

まず,「山に行くのが大変」な理由として採集者の高齢化や自宅からの距離の遠さなどが挙げられる。小・中規模の採集者は60~70代が中心であり,移動距離を短くするためにも自宅近くの私有地に植える場合が多い。No. 7の採集者については,20代の頃に植樹しており,早めに対策を講じてきた。また,クマの目撃が増えたという理由で山に行くことが困難になったといった理由もみられる。次に,「山に入るほどの需要がない」については,日常生活で朴葉を利用した調理をしなくなったことも関連しており,その結果,採集に時間や労力を費やすほどの需要は見込めていない。「負担を減らすため」,「山に行くことで手間がかかる」について,小・中規模の採集者は朴葉の採集に加えて,朴葉もちの製造や野菜の栽培を自身で,もしくは世帯内で行なっている。植樹により管理や採集の作業効率を高めることで,限られた労働力で工程の多い朴葉もちの製造を可能にしているといえる。

また植樹した時期については,1970年代(No. 7),2000年代(No. 8),2010年代(No. 6)と採集者によって異なり,各人の直面する状況に応じて植樹したと考えられる(第3表)。大規模採集者の植樹の理由については,「山での採集が大変だった」(No. 11),「土産品としての需要を感じた」(No. 10)という回答が得られた。「山での採集が大変だった」という理由は,必要となる作業の量のわりに利益が低かったためである。No. 11は,青朴葉・枯れ朴葉そのものを商品として販売しており,1枚10~20円で販売している。少ない作業量で効率よく採集するために自身の私有林に多くのホオノキを一斉に植樹した。次に「土産品としての需要を感じた」という理由について,No. 10は,1970年代以降に加工品が購入されるものになってきたこととしている。この採集者は朴葉もち,朴葉ずしを地元資本の小売店や問屋に卸しており,朝市に比べて販売量も多い。そのため,No. 10も自身の私有地に植樹することで,大量の朴葉を効率よく採集できるようにした。No. 10, 11は食品製造業を営んでおり,No. 10は餅製造を,No. 11は缶詰製造で培った食品保存の技術を活かして加工品を販売し始めた。植樹した時期は1980~1990年代(No. 10)と2000年代(No. 11)となっている。No. 10については,朴葉を利用した商品を販売し始めた時期と重なり,No. 11については朴葉そのものを販売し始めて約10年経過した時期である。いずれも需要増加に応じて植樹したと考えられる。

IV. 採集者による朴葉調達の方策

採集形態の差異は,単なる作業方法や採集規模の差異としてではなく,商品にすることを見据えた朴葉調達の方策の多様化として理解できる。

まず自生林から採集する小規模採集者は,主に枯れ朴葉を採集し,朴葉味噌の販売をしている。枯れ朴葉の保存期間は長く,約2年間も品質を保てるため,鮮度を気にせず,採集時期に融通が利く。その結果,採集頻度を抑えながらも十分な量を確保できるため,ホオノキを植樹してまで採集効率を上げる必要はなく,自生林の資源だけで販売に対応しているといえる。他方,自生林から採集する大規模採集者は青朴葉と枯れ朴葉を採集しており,需要の高まりを受けて採集量を増加させてきた。2000年代中頃には道の駅への卸売を開始し,2020年からは都内の料亭から年1回,2,000枚の枯れ朴葉の注文を受けている。

また植樹した小・中規模の採集者は,香りが重視される青朴葉を用いた朴葉もちも販売している。青朴葉の香りは短期間で失われるため保存が難しい。朴葉もちを作る度に採集しなければならず,採集に要する時間は枯れ朴葉の採集に比べて長く,労力に対して収益性は低い。したがって,植樹は採集効率と鮮度保持を両立させるための行動と考えられる。植樹により採集場所への移動距離と作業負担が軽減され,新鮮な朴葉を安定的に確保できるようになり,商品として朴葉もちを継続的に供給できる体制を整えているといえる。さらに,大規模な植樹採集者は土産品需要を背景に加工を開始し,地元の小売店や問屋,公設市場への卸売を行っている。必要となる量が多いため,大規模な植樹によって効率的な採集体制を整えている。ホオノキは植樹後およそ5~6年で商品基準に達する葉を付け始めるとされ,中長期的な原料の確保を見据えた方策といえる。

このほかに朴葉の採集から販売には世帯内で完結する形態と,世帯外へも広がる場合がみられる。世帯内では,採集者が採集から加工・販売までを担う,あるいは採集のみを行い,加工や販売を家族が担当するなど,家庭内の労働力で工程が分担されている。これは主に朝市で販売する採集者や,自生林で採集する大規模採集者にみられる。他方,世帯外へも広がる場合はNo. 11の事例に限られるが,販売者が広告を出して地域住民から枯れ朴葉を買い取っており,採集・加工・販売(卸し)が世帯を越えて地域内分業のような形態で朴葉を調達し,販売している。

以上のように,採集者はそれぞれの販売先や加工品に応じて,資源の安定的な確保や採集にかかる負担の軽減を企図した行動をとっている。その方策が採集者の高齢化や獣害という変化のなかで,採集の継続を可能にさせていたと考えられる。

V. おわりに

本研究は高山市の朴葉を事例に,観光資源として活⽤されている郷⼟料理や⼟産品の原材料となるローカルな⾃然資源がいかに調達されているのかを明らかにしようと試みてきた。本研究で得られた知見は大きく3点に整理できる。

1つ目に,高山市における朴葉の調達は,自生するホオノキからの天然の朴葉を採集する方法に加え,私有地や私有林へのホオノキの植樹による朴葉の採集へと展開してきたことが明らかとなった。2つ目に,こうした採集形態の差異は,青朴葉と枯れ朴葉という葉の特性や,加工品の種類,販売先といった用途に応じて採集者が朴葉調達の方法を柔軟に変化させた結果であった。青朴葉については鮮度が重視されるため,採集場所との近接性が求められ,植樹による効率的な採集が選択されていた。一方,枯れ朴葉ついては,保存性が高く,採集頻度を抑え,山林利用の制約や採集者の高齢化といった条件下でも採集の継続を可能にしていた。3つ目に,ホオノキを植樹した契機は採集規模によって異なっていた。朝市での販売を主とする小・中規模採集者は,農地の縁や畦畔など比較的採集しやすい場所にホオノキを植樹していた。これは,労働力の減少や山林利用をめぐる権利の厳格化といった課題を克服するための方策と位置づけられる。一方,大規模採集者は販売量の増大を企図して私有林や私有地へ集中的に植樹し,効率的な採集体制を整えていた。すなわち採集者は自らの経営規模や保有労働力に応じて合理的な調達方策をとってきたといえる。

このような朴葉の採集が,将来的に継続されるのかは不透明である。採集者の多くは高齢で,朴葉の採集を主たる生計の手段と位置付けにくいことから各採集者の世帯内で世代交代しにくい。事実,大半の採集者に後継者はいなかった。とくに農家でもある採集者では,農業の後継者がいても,朴葉の採集まで継承するわけではないということだった。

こうした状況から今後,朴葉の調達先がすべて域外となる場合には,当事者等がいかに自らの実践を当該地域のものとして位置づけているのかが重要となるであろう。このため高山市の朴葉を利用する食文化をめぐっては,本研究で明らかにした採集活動に加えて,飲食店や消費の動向も含めて原材料の調達の動向を検討していくことが今後の課題になるといえよう。

謝辞

本研究を進めるために朴葉採集をされている方々,加工業者のみなさまにはお忙しいなか聞き取り調査や電話対応にご協力いただきました。専修大学の𠮷田国光先生に御指導いただきました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。本研究の骨子は2024年度立正地理学会研究発表大会にて口頭発表した。

1) 本研究での「調達」は採集に加え,採集者から朴葉を購入するなどの入手方法も含むもので,「採集」は,採集者がホオノキから直接朴葉を収集する行為を指すこととする。

2) 高山市ウェブサイト.観光統計,https://www.city.takayamalg.jp/shisei/1000062/1004915/1006941/index.html(2024年10月10日閲覧)による。

3) 高山市ウェブサイト.高山市の概要,https://www.city.takayama.lg.jp/shisei/1000058/1001902.html(2024年10月10日閲覧)による。

4) 採集をしていた詳細な場所について,開示可能な体系的な情報を入手できなかった。

5) 本研究では明記のない限り元々,林地ではなかったところにホオノキを植樹した場合を私有地,林地であった私有地でホオノキに植え替えた場合を私有林と表記する。

6) 本研究での「山」は,自生林かつ自宅から離れたところの総称とする。

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