季刊地理学
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珪藻遺骸群集による縄文海進期の想定海岸線と貝塚分布との関係
埼玉県荒川低地上流域を例にして
安藤 一男方違 重治
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1997 年 49 巻 4 号 p. 231-246

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抄録

ボーリングコアの珪藻分析, 14C年代測定および柱状図の解析結果に基づいて, 荒川低地上流域の古環境変遷を復元し, 縄文海進期の内湾最拡大期における海岸線付近の地形環境について検討した。
本地域において最終氷期最盛期頃, 埋没立川段丘面を切り込んで谷幅2.5~3.5kmの埋没谷が形成され, その後, BGを基底として淡水成堆積物の形成が進行した。8,600y. B. P. を過ぎる頃から, 当地域は内湾化し海岸線が最も奥部に達したのは8,300y. B. P. 頃である。しぼらくこの状態が続いた後, 徐々に内湾の埋積が進み, 6,300~5,500y. B. P. 頃には当地域の陸化は完了した。
珪藻遺骸群集に基づいて求められた内湾最拡大期の海岸線は, 荒川低地左岸の大宮台地側では台地に刻まれた支谷へ深く入り込んで位置していたのに対し, 右岸の武蔵野台地側では, 流入する入間川, 小畔川, 越辺川の影響により淡水域が広く分布することにより海岸線は低地中央付近に位置していた。このことは大宮台地の平方貝塚群がヤマトシジミ, カキ, ハイガイ, ハマグリを産出するのに対し, 武蔵野台地の小仙波貝塚は主淡であることとも調和的である。

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