季刊地理学
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志賀重昂は火口湖をどのような景観として捉えたか
『日本風景論』の政治的メタファーを探る
米地 文夫
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2001 年 53 巻 2 号 p. 111-126

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抄録

志賀重昂は『日本風景論』の中の名文といわれ, しばしば引用される一節「火口湖」に, 政治的なメタファーが用いられており, 彼の好戦的プロパガンダがこの文にこめられていることを明らかにした。すなわち, 戦争の相手である清国の平野部の湖沼の景観を凡庸で殺風景, さらに不健康な環境と述べ, 美しい日本の火口湖と対比させた。また「火口湖」の平和な景観は, 噴火という激動のあとに得られたもので, 志賀の文は平和論, 反戦論への攻撃を行っているのである。
『日本風景論』の刊行に先だち同書の一部が政教社刊行の雑誌に予告を経て発表されていたが,「火口湖」は予告なしに日清戦争の開戦後『亜細亜』3巻3号に急遽繰り込まれている。志賀が実見した「火口湖」は少なく, 記載のほとんどを他書からの無断借用で埋め, 拙速に書き上げられたもので, 改悪や誤読も多い。また, 後年には逆に, 日本の湖よりも海外の湖の景観が優れていると言ったり, 恣意的な比較を行っている。要するに志賀は,『日本風景論』において, 単に湖を用いて中国に対する日本の優位を説きたかったのであり, 湖の優劣の議論はそのための詭弁に過ぎなかったのである。

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