抄録
本研究では千葉県下総台地東部の野菜生産地域を取り上げ, 任意出荷組合や農協により作物の集荷範囲が拡大され, 産地内において同様な作物が栽培されることにより, 野菜生産地域が形成される過程を明らかにした。
八街市・富里市・山武町・芝山町では第二次世界大戦直後まで, 農家は野菜を仲買業者へ直接的に販売していた。その後, 野菜生産地域が拡大するに伴い, 任意出荷組合を通じて各種野菜が販売されるようになった。さらに1970年頃になると, 農協を通じてスイカやニンジン, トマトが販売されるようになった。また, 農協の野菜集出荷範囲が拡大したのに合わせて, 農協は国庫補助金を利用して野菜の集出荷施設を建設し, 共販体制を強化させてきた。
スイカ・ニンジン・トマトの生産を主体にしている農家は, 農協の指導に従って野菜を栽培するようになり, さらには施設を建設して野菜を栽培するようになった。一部, 仲買業者や生協への小規模な出荷は残されているものの, 下総台地東部の野菜生産地域では野菜需要の増大に対処するため, 任意出荷組合や農協が主導となり, 特定の作物を栽培するようになった。このように下総台地東部は, 関東地方に点在する中郊農業地域の1つと位置づけられる。