初期平安京の京域は一辺が1500 丈の正方形であるという仮説が我々の最近の研究で提起されている。本論文は,以前の研究とは異なる観点からこの仮説を再検討し,仮説の正当性を補足あるいは補強するものである。本論文では,1)周礼「考工記」の都城モデルに関する検討,2)都城における設計数値の継承に関する確認,3)天円地方の数学に関する提起がなされた。これらの3点は互いに密接な関連性をもっており,初期平安京の正方形仮説を支持している。また,周礼の都城モデルの「方九里」については,宮城の周囲長が厳密に9 里の長さとして設計されたものであることが明らかとなった。なお,本研究は大型将棋の研究に端を発したものであり,遊戯史研究が歴史学に寄与した一例となるものである。