抄録
重度・重複障害児はますます困難な課題を教育に投げかけているように思われる。この解決は従来の学校教育的観点の根本からの再検討を要すると思われる。ここでは歴史的再検討という立場からアメリカ合衆国の1845年までの白痴教育導入過程をとりあげる。本稿は、19世紀中葉という時点でなぜ重度な子どもの教育を目的とした学校が設立され、それが保護収容的な施設へ変容していったのかを検討する前段階の作業であるが、次の点が明らかにされた。1)救貧対象である貧困狂人の一部として扱われてきた白痴が、狂気治癒説で不治者としてまず分離し、2)次いで狂院での臨床によつて独自の地位を占めた。3)しかしそれは狂院からの排除に結果した。4)聾唖院、盲院では軽度な白痴教育の多少の試みはあったが、自立できないために退学になり、従って白痴教育を導く直接的な要素とはならない。5)ヨーロッパの白痴教育情報に敏感に反応したのは狂院の医師であり、彼らにはその要素があった。6)しかし白痴および白痴教育のイメージはこの時点では甚だあいまいであった。