抄録
本稿は占領下の日本に滞在した米国人が執筆した旅行記を取り上げ、そこに描かれた米国の人々による日本の人々との接触を対面相互作用の観点から分析することで、米国が彼らに期待した「非公式の外交官」の役割にとどまらない行為や経験を浮き彫りにする。そのうえで、彼らの対面相互作用にみられる「不安定な共感」の可能性と問題を考察する。
現地の人々とのコミュニケーションと共感を描いてきた冷戦期米国のアジア旅行記は米国の国際協調戦略と共犯的であると指摘されてきたなかで、本稿は個人の行為・認識における他者の重要性と自己の可変性を重視する対面相互作用の観点より旅行記の読み直しを行った。旅行記の著者たちは対面する日本の人々のまなざしを意識しながら行為を行っており、米国が占領者に求めた「非公式の外交官」の役割は必ずしもうまく遂行されなかった。むしろ対面相互行為は自他の立場性への気づきを通じて、著者たちに占領軍や占領改革への批判的視点を獲得させる契機にもなっていた。しかしそうした「不安定な共感」が生じるきっかけとなったディスコミュニケーションは、場合によっては日本の人々に対するステレオタイプを強化する契機でもあった。