島しょ医療研究会誌
Online ISSN : 2435-9904
天明の別れと青ヶ島のモーゼ
小山 茂
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2012 年 4 巻 1 号 p. 28-35

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抄録
 青ヶ島は島全体が黒潮の流れに包まれ、現在も海上の交通が困難な島である。  この島が、有史以来伊豆諸島で最も深刻かつ教訓的な自然災害を経験した島であることを知る人は少ないだろう。1785 年(天明 5 年)に発生した大噴火で島民 200 人余りが八丈島に逃れ、100 人以上が犠牲となり以降無人島となった。佐々木次郎太夫が先頭に立ち、故郷に還住を果たしたのはそれから半世紀後の 1835 年(天保 6年)だった。  当時の記録は、幸い八丈島の博学流人近藤富蔵による『八丈実記』をはじめ詳細に残されており、日本を代表する民族学者柳田國男もそれらを検討し整理している。彼の全集に『青ヶ島還住記』という一章が収載されており、本稿はそれを中心に概説する。
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© 2012 島しょ医療研究会
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