抄録
毒性のエンドポイントの中でも神経毒性は検出しにくい「忍びよる影響」であり,比較的低用量の曝露量で神経毒性が顕れたとする報告も多い。しかし,その知見がリスク評価に活用される例は乏しい。その背景には,動物実験では「行動変化」と表現されるような,毒性表現型の曖昧さがある。我々はモリス水迷路で著名なR. Morris教授との共同研究により,これまでヒトやサルを用いなければ難しいとされていた対連合学習をラットに習得させるFlavor Map試験法を開発し,それが前頭前野すなわち皮質機能性の学習課題であることを明らかにした。妊娠ラットに低用量ダイオキシンを曝露し,その仔動物について行動試験を行ったところ,短期・長期記憶には影響が観察されない低用量曝露において,対連合学習が阻害されることを見出した。次に集団型自動行動試験装置IntelliCageを用いて,行動柔軟性をマウスにおいて定量的に評価する試験法を確立した。行動柔軟性とは,自らが作り出した行動パターンを状況に応じて変更できる能力であり,状況や目的を判断し,意識的・無意識的な自らの行動を調節する遂行機能である。ダイオキシン曝露マウスでは,この行動柔軟性が低下していること,免疫組織化学による神経活動マッピングの結果から,前頭葉機能が低下し扁桃体機能が亢進していることを見出した。次に,認知学習能力のみでなく,イライラ・不安など心の状態の指標を検討した。その結果,ダイオキシン曝露マウスは,課題遂行中に強迫性繰り返し行動を示していたこと,さらに複数のマウスで飼育された場合に,「ひっこみじあんになる」という社会性行動の変容があることがわかった。このような行動ならびに脳活動性の異常は,これまでリスク評価の対象になりにくかった表現型である。科学的根拠を伴った指標により,毒性影響の検出と,その正しい評価を進めていく必要があるだろう。