我々は生活環境、食生活やライフスタイルに応じて多種多様な化学物質に曝露されている。その中には、食事を介して意識的に摂取されるものもあれば、環境循環等を介して非意図的に生体内に侵入するものもある。産業化学物質、有害金属、環境汚染物質には酸化ストレスや親電子ストレスを与えるものが少なくないことから、酸化・親電子ストレスと有害性との関連性が指摘されている。注意すべき点は、生体は環境の変化に応じて適量の活性酸素種(ROS)および内因性親電子物質を産生していることである。このことは、適度の酸化・親電子ストレスは生体の恒常性維持に寄与している一方で、過剰の当該ストレスは恒常性の破綻を引き起こし、毒性へと繋がることを示唆している。
私は筑波大学に赴任して、酸化・親電子ストレスを生じる化学物質の毒性発現の分子メカニズム解明に取り組んだ。ケミカルバイオロジー的手法により、被検物質が如何にして過剰のROS産生をするのか、抗酸化酵素の活性低下を生じるかを明らかにした。また、社会医学系に所属していたことから、米国・カリフォルニアおよび中国・内モンゴル自治区で採取した環境サンプル解析、断面調査、介入研究、代替動物によるインビボ実験および培養細胞を用いたインビトロ実験からなるフィールドサイエンスと実験科学の融合を実施した。一連の研究を進める過程で環境中親電子物質の二面性に気づいた。本仮説を解くために、環境応答に係る細胞内の起点となる分子ターゲットを明らかにし、それに伴うレドックスシグナル変動を調べた。その結果、環境中親電子物質の低濃度曝露時には、センサータンパク質の反応性システイン残基と特異的に共有結合して応答分子を活性化し、細胞生存、細胞増殖、細胞内タンパク質の品質管理および親電子物質の解毒・排泄に関わる下流遺伝子群の転写誘導を促すレドックスシグナルが活性化されることを見出した。一方、環境中親電子物質の曝露の増加に伴い、細胞内タンパク質は非特異的な化学修飾を受け、結果的に細胞死および致死効果が観察された。
硫化水素、システインパースルフィド(CysSSH)、グルタチオンパースルフィド(GSSH)およびそれらのポリスルフィドのような活性イオウ分子(RSS)は、分子内に“可動性イオウ”を有し、高い求核性・抗酸化性を示すことから、イオウ生物学分野で注目されている。我々は非細胞、細胞および個体での検討より、環境中親電子物質とRSSとの反応を介してイオウ付加体が生成されることを発見した。Na2S4のようなポリスルフィド処置により、環境中親電子物質曝露によるレドックスシグナル変動(低濃度で活性化、高濃度で破綻)および毒性は減弱した。それを支持するように、メチル水銀、カドミウムおよび1,4-ナフトキノンのイオウ付加体は、母化合物のようなタンパク質の化学修飾能、レドックスシグナル変動および細胞/個体レベルでの毒性を示さなかった。さらに、細胞内でCARS2やCSEにより産生あるいは外来的に摂取したRSSの細胞内濃度が一定以上になると細胞外に排泄されるシステムが存在することも分かった。
異物代謝において、化学物質の酸化(第1相反応)、極性基導入による抱合化(第2相反応)およびトランスポーターを介した細胞外排泄(第3相反応)が知られている。RSSは細胞内外で環境中親電子物質を捕獲・不活性化することから、我々は「フェーズゼロ反応」と命名した。