日本毒性学会学術年会
第47回日本毒性学会学術年会
セッションID: SL5
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特別講演
ヒト集団における毒性学
*渡辺 知保
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抄録

現在,毒性学分野の研究は,大部分が「実験室の中」で行われているのではないだろうか.毒性学の研究の最終的な目的をヒトの健康に置くならば,実験室の中の知見とともに,実験室の外の知見も重要であると思う.ここでは,主として東南アジア・南アジアの一般集団を対象とし,環境毒性学的な目的を掲げて「実験室の外」の調査を行ってきた経験を踏まえて,ヒト集団を対象とした毒性学-主にフィールドにおける毒性学-で得られたいくつかの観察事例を紹介し,それが「実験室の中」の毒性学あるいは一般に毒性というものを考える上でどんな意味を持ち得るのかを議論したい.

地下水は微生物汚染の観点からは一般に表層水よりも安全と考えられるが,化学汚染のリスクは存在し,特に地殻に比較的豊富に含まれるヒ素による汚染はアジア,中南米を中心に極めて広範に存在する.最大のリスク人口を抱えるバングラデシュで1998年から調査を行なった.この調査においては,ヒ素汚染の存在とその脅威に対する人々の認識のあり方,汚染の評価の伝え方,ヒ素の用量-反応関係の評価の方法などで考えるべき点が多かったが,量-反応関係において,性差をはじめとする個体差が見出された.さらに,従来から多くの物質の毒性を修飾することが報告されてきたセレンについても同時に検討を行い,個体レベル・集団レベルに共通する特異な関連を見出した.同じガンジス川流域のネパール低地のヒ素汚染地域でも同様の調査を実施し,中等度以上の汚染地域において低栄養状態が毒性を修飾することを示した.これらの知見は,同じ量のヒ素の毒性が,様々な要因によって修飾されることを示している.これはある意味で当然とも言えるが,見方を換えれば,フィールドで観察される毒性とは,様々な要因がもたらす影響を合成した結果であるということも示している.

ヒ素による地下水汚染から範囲を広げ,00年代の後半(2006〜2009年)には,東南および南アジアの主として農村部におけるライフスタイルの転換(自給自足農耕→市場型農業)に伴う化学物質への曝露状況を三十余りの集落において調査した.この研究においては,ライフスタイルの転換のレベルが異なると考えられる集落を選び,栄養状態・化学物質への曝露その他,多角的な調査を行なったが,多くの集落において比較可能な調査を実施したことによって,化学物質への曝露の状況,その性差・年齢差などからユニークな知見を得ることができた.

以上のようなフィールドにおける調査・観察は,毒性学の実験的・理論的な予測を検証できる唯一の場であると同時に,実験的・理論的な研究へのヒントを与えるものでもあり,その意味で毒性学全体にも貢献できるものであると考える.近年のフィールド・データに基づく報告,および,将来的な方向についても触れたい.

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