東洋音楽研究
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中世の石清水放生会の音楽に見られた「四部」と「左右」について
鳥谷部 輝彦
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2006 年 2006 巻 71 号 p. 21-38

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抄録

中世の石清水放生会は、『残夜抄』に日本国第二の大法会と記されており、神仏習合の法会次第の中で盛んに奏舞奏楽がなされた様子が偲ばれる。そこでの音楽は史料上に「四楽」「四部楽」「四具楽」と表記され、四つの楽団 (新楽、高麗、林邑、童楽) が法会の進行に合わせて演奏していた。
一般的な舞楽法会の像は古代と現代の大きな法会 (東大寺大仏供養会、平安後期の臨時大法会、四天王寺聖霊会) から作られている。法会における奏舞奏楽の形態は古代東大寺の四部楽から院政期の二部楽へ移ったとみられる。それ以降の奏舞奏楽については、平安時代に確立したとされる左右両部制が強く影響し、二部楽が引き継がれているとみなされている。そのため、この像には中世の石清水放生会でみられた四部楽は含まれていない。
本稿では石清水放生会で展開した「四部」を左右両部制の観点で分析することを試みた。そのために、法会全体の中でも楽団が四つに分かれて活躍するのがわかりやすい前半部分を考察対象とした。第一に、十二~十三世紀の史料上に現れる「四楽」「四部楽」「四具楽」の語を整理し、法会次第を作成した。第二に、左右両部制の今までの議論を整理し、諸行事の音楽にみられた左右に関して細かい分類を立てた。第三に、その分類を用いて四部を構成する人員の左右を分析し、石清水放生会の史料に書かれた左右は楽屋の左右に基づいていたことを示した。

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