東洋音楽研究
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2006 巻 , 71 号
選択された号の論文の15件中1~15を表示しています
  • 規範と個性の関係をめぐって
    新堀 歓乃
    2006 年 2006 巻 71 号 p. 1-20
    発行日: 2006/08/31
    公開日: 2010/09/14
    ジャーナル フリー
    ご詠歌とは仏教的内容を持つ詞に節を付けた歌謡で、巡礼や葬式など様々な仏教儀礼でうたわれる。ご詠歌の詠唱はうたい手が自らの信仰を表現する手段のひとつであり、その信仰は不変のものとみなされるため、ご詠歌の詞や節を個人の趣向で勝手に変えることは許されず、常にひとつの「正しい」詠唱法が求められる。しかし、この「正しい」詠唱法を伝えるはずの楽譜は幾度も書き替えられ、また、実際の詠唱や口伝内容も時代とともに変容してきている。では、なぜ楽譜と口頭伝承を変容させてしまうことが、ご詠歌を「正しく」伝承することであるとみなされ得るのか。この問いに答えるべく、本稿では密厳流のご詠歌を例に挙げて、楽譜と口頭伝承が変容する過程を分析した結果、その変容のしくみを以下のように説明できた。
    ご詠歌は、伝授者である師範から被伝授者である在家の一般信者へと規範が提示されることによって伝承される。その規範とは師範が「正しい」と認識している詠唱法であり、これが楽譜と口頭伝承を通じて伝えられる。そのとき、師範は正確な伝承を達成しようとする一方、自己の個性を表現しようとするため、師範各々の詠唱間にはしばしば相違が生じ、それゆえ、ご詠歌の伝承にはある種の不完全さが伴う。たいていの場合、師範はこの不完全さを「詠唱の幅」と呼び、豊かな音楽性として評価する。しかし、ご詠歌を「正しく」伝承しようとする意識から、師範たちが伝承の不完全な部分を「正しくない」「規範に反する」と判断した場合、師範同士で会議を開いてご詠歌の「正しさ」をめぐって議論し、規範を再構築する。そして、新たな規範と従来の楽譜や口頭伝承との間に齟齬が生じた場合には、新たな規範に従って楽譜と口頭伝承を変更する。それゆえ、楽譜と口頭伝承を変容させることが、ご詠歌を「正しく」伝承することであるとみなされ得るのである。
  • 鳥谷部 輝彦
    2006 年 2006 巻 71 号 p. 21-38
    発行日: 2006/08/31
    公開日: 2010/09/14
    ジャーナル フリー
    中世の石清水放生会は、『残夜抄』に日本国第二の大法会と記されており、神仏習合の法会次第の中で盛んに奏舞奏楽がなされた様子が偲ばれる。そこでの音楽は史料上に「四楽」「四部楽」「四具楽」と表記され、四つの楽団 (新楽、高麗、林邑、童楽) が法会の進行に合わせて演奏していた。
    一般的な舞楽法会の像は古代と現代の大きな法会 (東大寺大仏供養会、平安後期の臨時大法会、四天王寺聖霊会) から作られている。法会における奏舞奏楽の形態は古代東大寺の四部楽から院政期の二部楽へ移ったとみられる。それ以降の奏舞奏楽については、平安時代に確立したとされる左右両部制が強く影響し、二部楽が引き継がれているとみなされている。そのため、この像には中世の石清水放生会でみられた四部楽は含まれていない。
    本稿では石清水放生会で展開した「四部」を左右両部制の観点で分析することを試みた。そのために、法会全体の中でも楽団が四つに分かれて活躍するのがわかりやすい前半部分を考察対象とした。第一に、十二~十三世紀の史料上に現れる「四楽」「四部楽」「四具楽」の語を整理し、法会次第を作成した。第二に、左右両部制の今までの議論を整理し、諸行事の音楽にみられた左右に関して細かい分類を立てた。第三に、その分類を用いて四部を構成する人員の左右を分析し、石清水放生会の史料に書かれた左右は楽屋の左右に基づいていたことを示した。
  • 儀礼における奏楽の政治的意義について
    平間 充子
    2006 年 2006 巻 71 号 p. 39-63
    発行日: 2006/08/31
    公開日: 2010/09/14
    ジャーナル フリー
    踏歌節会の原型は天武・持統朝 (六七二~九七) に遡り、また中国の元宵観燈という行事に起源が求められるとの指摘があるが、その根拠となる『朝野僉載』は元宵観燈を先天二 (七一三) 年と記し、天武・持統朝に及ばない。一方、隋の煬帝 (在位六〇四~一八) は、正月中旬洛陽にて百戯と呼ばれる見世物を諸蕃の前で挙行し、それを恒例とした。本稿では、日本の踏歌節会及びその前身と考えられる正月中旬の饗宴儀礼について、その構造と政治的重要性を中心に煬帝の百戯と比較検討を行うこと、その上で洛陽以外にて行われた煬帝の百戯と奈良次代以前の日本で見られる芸能奏上の場とを比較し、踏歌節会と密接なつながりを持つ射の儀礼を媒介に、古代日本における音楽・芸能の奏上について政治的視点から考察することを目的とする。
    第一章では、平安初期の儀式書『内裏式』および正史に見える天武朝から桓武朝 (六七二~八〇六) の踏歌節会の構造から、踏歌芸能の有無は踏歌節会の起源特定の根拠となり得ず、それを前提としていた先行研究の結論は再検討を要することを明らかにした。第二章では、『隋書』に見られる都城での百戯の記事を分析し、日本の踏歌節会の原型となった正月中旬の饗宴儀礼のモデル足り得るとの結論に到った。根拠は、元宵観燈と違い諸蕃の参加が不可欠であること、国家的行事としての組織的関与が窺われることの二点が日本の儀礼と共通するからである。第三章では、日本の正月中旬の饗宴儀礼と煬帝の百戯とにおける蕃客・諸蕃の位置づけの差異に関し、射の儀礼との比較から音楽・芸能の奏上が日本独自の礼秩序を体現していた可能性を示した。第四章では、『日本書紀』『続日本紀』に記される奏楽・芸能の奏上のほぼ全てが、蕃客・客徒のいる場か行幸先のどちらかであることについて考察を行い、当時の日本の奏楽・芸能奏上が中国の影響を受けつつも独自の発達を遂げた可能性を指摘した。
    古代日本の儀礼における音楽・芸能奏上と中国のそれとを比較することは、音楽史的問題に留まらず、礼の移入や日本独自の礼秩序の樹立・表象といった政治史・文化史的側面を解明する手がかりともなり得るであろう。
  • バラライカとソ連の五ヵ年計画
    柚木 かおり
    2006 年 2006 巻 71 号 p. 65-83
    発行日: 2006/08/31
    公開日: 2010/09/14
    ジャーナル フリー
    バラライカは三角形の胴に三本の弦をはった有棹撥弦楽器で、ロシアの民族楽器として広く知られている。この楽器には、音楽事典などに見られるような、板を張り合わせて作った粗末な自作楽器あるいは職人が製作した楽器であるというイメージが先行しがちだが、数量から言えば、工場で大量生産されたものが圧倒的に多い。本稿は、民族楽器の大量生産が文化政策の一環として行われた経緯と理念を一九二〇~三〇年代の五ヵ年計画との関連において分析し、楽器大量生産の後世への影響を考察するものである。
    ソ連は、「資本主義諸国に追いつき、追い越せ」をスローガンに様々な政策を打ち出した。五ヵ年計画はもともと工業部門の発展を目的とした国家規模の計画であるが、そのうち第二次五ヵ年計画 (一九三三~三八) には特に芸術部門の組織化が含まれた。その計画書の冒頭には「安価で良質な楽器の普及が、社会の文化水準の高さを示す」と述べられており、実にその理念にしたがって民族楽器の国を挙げての大量生産が行われるようになった。
    世界初の社会主義国ソ連では、文化は国によって計画、運営、管理されるものであり、その意味で「国営文化」だった。工場製の楽器の生産と流通によって、より多くの人々が楽器を手にすることができるようになり、その楽器とともに、政策施行者側が推奨した「文化的な」音楽文化も組織的に普及することになった。しかし楽器の普及は、他方で、「非文化的である」として当局が排除しようとした農民の伝統的な器楽曲や世俗的なレパートリーを根絶するばかりか、政策被施行者側の工夫により、逆に生き残らせるという結果をもたらした。それらは、政策施行者側の推進した工場製楽器によって現在も鳴り響いている。
  • 福岡 まどか
    2006 年 2006 巻 71 号 p. 85-97
    発行日: 2006/08/31
    公開日: 2010/09/14
    ジャーナル フリー
    この論考では、インドネシアの女形舞踊家、ディディ・ニニ・トウォ Didik Nini Thowok (1954-) の創作活動について記述する。彼は、ジャワ島の古都ジョグジャカルタを活動拠点として、日本をはじめ、世界の各地で活躍する踊り手である。踊り手としての活動のほかに、コメディアンとして、またテレビドラマや大衆演劇の俳優としても活躍している。
    ディディ・ニニ・トウォの創作活動の特徴は、様々なジャンルの芸術伝統に精通し、それに基づく作品を作っていること、また、女形舞踊家として性別の境界を越える試みを行っていることである。彼は二〇〇〇年以来、「クロス・ジェンダー」という概念を提唱し、ジェンダーの境界を越えることを強く意識している。この論考では、ディディ・ニニ・トウォの創作活動を、伝統舞踊に基づく創作活動の一つの事例として位置づけ、創作作品における「クロス・ジェンダー」の手法の一つとして仮面を用いる創作舞踊について取り上げた。二〇〇五年に創作された「デウィ・サラック・ウラン」という作品の仮面とその表現を考えることによって、伝統的な仮面を用いながら、それに独自の解釈を加えていくディディ・ニニ・トウォの独特な創作のスタイルを指摘した。
  • 音楽・芸能史における文化政策
    梅田 英春, 塚原 康子, 濱崎 友絵
    2006 年 2006 巻 71 号 p. 107-137
    発行日: 2006/08/31
    公開日: 2010/09/14
    ジャーナル フリー
  • 蒲生 美津子
    2006 年 2006 巻 71 号 p. 147-149
    発行日: 2006/08/31
    公開日: 2010/09/14
    ジャーナル フリー
  • 権藤 敦子
    2006 年 2006 巻 71 号 p. 150-153
    発行日: 2006/08/31
    公開日: 2010/09/14
    ジャーナル フリー
  • 高松 晃子
    2006 年 2006 巻 71 号 p. 153-158
    発行日: 2006/08/31
    公開日: 2010/09/14
    ジャーナル フリー
  • 岩井 正浩
    2006 年 2006 巻 71 号 p. 158-161
    発行日: 2006/08/31
    公開日: 2010/09/14
    ジャーナル フリー
  • 谷口 文和
    2006 年 2006 巻 71 号 p. 162-165
    発行日: 2006/08/31
    公開日: 2010/09/14
    ジャーナル フリー
  • 小西 潤子
    2006 年 2006 巻 71 号 p. 165-169
    発行日: 2006/08/31
    公開日: 2010/09/14
    ジャーナル フリー
  • 梁島 章子
    2006 年 2006 巻 71 号 p. 170-174
    発行日: 2006/08/31
    公開日: 2010/09/14
    ジャーナル フリー
  • 谷 正人
    2006 年 2006 巻 71 号 p. 175-178
    発行日: 2006/08/31
    公開日: 2010/09/14
    ジャーナル フリー
  • 尾高 暁子
    2006 年 2006 巻 71 号 p. 179-182
    発行日: 2006/08/31
    公開日: 2010/09/14
    ジャーナル フリー
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