本研究は彫刻家佐藤忠良の教育について,佐藤の言説及び教育の受容者の証言から明らかにすることである。拙論「彫刻家佐藤忠良の教育―造形指導の意図と授受:インタビューによる質的検討の試み―」において,佐藤の教育観は,本来の意図と異なり,受容者との間に齟齬を生じてさせていたことが明らかになった。そこで本稿では,佐藤のアトリエで彫刻を学び,その造形思考を体現した彫刻家岩野勇三に着目した。岩野は佐藤の教育に追随しながらも,大学という短い期間での修練,試行錯誤には限界があることを痛感していた。それが動機となり彫塑の方法を詳細に記した技法書を執筆した。佐藤が芸術教育を人間形成と捉えていた一方で,岩野は,芸術教育で学ばれる彫塑が社会や人を見る眼を育てると考えていた。1987年に急逝するまでの20年余の間,佐藤の造形思考を継承しながら,独自の指導観を貫き,彫塑による教育を実践した。