植草学園大学研究紀要
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佐倉藩校における初等教育
東塾・西塾を中心に
外山 信司髙野 良子
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2019 年 11 巻 p. 65-76

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抄録

藩校は藩士の子弟のために諸藩が設立した学校で,私塾・寺子屋とともに近世の教育を担った。明治維新後の近代化と教育の発展は近世に培われたが,教育改革が課題となる中,教育の原点とも言うべき近世の教育について明らかにすることは意義があろう。

下総佐倉藩の藩校は1792(寛政4)年,堀田順によって創設された。さらに堀田正睦は藩政改革の一環 として藩校を拡充し,「成徳書院」と改めた。朱子学と武芸を根幹とした教育が行われ,蘭学・英学などの洋学が積極的に取り入れられた。しかし,藩校は15 歳から24 歳までの藩士子弟が就学するのに対し,その前段階の教育については,従来の藩校研究,教育史及び地域史研究においても成徳書院に付随して概要が述べられるにとどまっていた。

そこで,本論考では8 歳から14 歳までの藩士子弟が学ぶ教育機関であった東塾・西塾を中心に史資料「両塾諸生心得書」を読み解き,佐倉藩を例に藩校の初等段階での教育がどのように展開されたかについて述べる。

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