日本での天然ビタミンA産業は, 鈴木梅太郎の指導のもとで理化学研究所(以下「理研」)の高橋克己によって肝油からのビタミンAの抽出, 濃縮方法が研究され, 1922年(大正11年)第三代所長の大河内正敏により理研内でベンチャー企業1)として取り上げられて肝油からビタミンAの製造を世界で始めて工業化したのがその始まりである. その後, 昭和30年代の中頃, 化学合成法による合成ビタミンAに市場を譲るまでの約40年間, 日本は資源と技術の力によって世界の需要の60%を生産し(表1), トップの地位を保ち続け世界で優位に立ってきた. その間未解決であった幾つかの問題もその後の研究で次第に解明されつつある. 理研ビタミン株式会社(以下「理研ビタミン」)の中にあって, 曽根は昭和20年代の初め頃からビタミンAの資源開発研究に取り組み, アブラガレイの幽門垂と腸壁に多量のビタミンAが存在することを知り, それをベースに事業を拡大してきた. しかし, 肝臓以外の臓器に何故これほど大量のビタミンAが貯蔵されるか, その理由についてはその後50年間, 常に疑問として持ち続けてきた.