本論の目的は、文化人類学の専門教育を受けていない人びとによる市民科学的実践(自己流人類学)を文化人類学者がサポートする事態を公共人類学的な実践と捉え、その可能性について考察することにある。そのために新型コロナウイルス感染症のパンデミック初期に大学生と大学院生が経験した苦悩や学びについてのオートエスノグラフィである『コロナ禍を生きる大学生―留学中のパンデミック経験を語り合う』[内藤・北野 2022]の執筆・編集過程を学生の視点で振り返る。そして、市民が文化人類学者と協働して公共的な問題に取り組む可能性を探求する。