本論文の目的は、人類学者の設立した企業と大手シンクタンク・コンサルティング企業が出会い、協業するまでのやり取りやプロセスを詳述することで、時に内向きな議論に陥りがちな人類学の問いを、他者との対話や応答の場で交わされる問いへと開いていく可能性を提示することである。具体的には、合同会社メッシュワークと株式会社日本総合研究所がいかにして関係を築いたのかを振り返り、人類学の実践者が産業界と協業する際の過程を記述し分析する。
本論文では2年を超える期間で行われた、会議や研修、企画案や見積もりの提出、そして顧客への提案活動など、「協業」とひとくくりにはできない、様々な個別の活動全般を対象として考察する。創業前で無名の状態であった人類学者たちは、縁のあったキーパーソンに引き合わされる形で、日本総研のコンサルタント達と出会い、協業関係を構築した。こうしたメンバーの間で交わされた議論や交渉の様子を詳細に描くことで、どのように理解が進み、相互の関係性が変容したのかを検討する。
結果的に今回の協業が成立するためには、互いの組織の利害だけでなく、実際にやりとりを行う個々人の興味関心やそれまでの経験などの要素が大きく影響を与えた。クライアントの要望に応えつづけることに疑問を持ち、その状況から抜け出すきっかけとして人類学に興味を持った責任者、ビジネスエスノグラフィに関してすでに知見があったコンサルタント、メッシュワークを発見し日本総研に紹介した仲介者、企業との長期的な関係性構築を求めていた人類学者など、どの存在が欠けていても、この協業関係は成立しなかったであろう。
本事例では、ビジネス人類学の文脈で語られてきたような、知識や方法としての人類学や、ビジネスリサーチ業界で道具化されてきた「エスノグラフィ」など、従来の産業界と人類学の関係とは異なる関係性を構築することに焦点が置かれており、それとは異なったありかたの可能性についても論じる。
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