文化人類学研究
Online ISSN : 2434-6926
Print ISSN : 1346-132X
最新号
選択された号の論文の26件中1~26を表示しています
特集1 「大地的なるもの」の人類学
  • ――人新世における「人間」と「自然」――
    里見 龍樹
    2024 年 25 巻 p. 1-5
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/04/17
    ジャーナル フリー

     本特集は、現代世界における「大地」あるいは「地質学的なもの」という主題をいかに人類学的に考えうるか、をテーマとするものである。「人新世」の概念は一面で、近代において打ち立てられた「人間が営む歴史的時間」と「大地の悠遠な時間」という区別の崩壊を意味するものである。そうであるとすれば、今日の人文・社会科学には「大地の時間」がある意味で回帰していると言える。それでは、「大地」が、人間の営みにとっての「不動の背景」ではもはやないとすれば、それは何なのか。そしてそれはいかに記述されるべきなのか。本特集は、世界各地からの事例に基づいてこれらの問いに取り組む。

  • ——ケニアの牧畜民による垂直的な土地利用の発明——
    内藤 直樹
    2024 年 25 巻 p. 6-21
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/04/17
    ジャーナル フリー

     本論では、人新世における地下資源やエネルギーについての関心の高まりが、科学的な知識や技術と国家権力および資本主義経済が結びついた大地の資源化を創発するダイナミクスを描写する。そうした動きが諸アクターの過去や未来の生き方に対する省察を生み出しながら、地質に関する新たな知を生み出す可能性を考察する。そのために近年のサハラ以南アフリカで注目されている再生可能エネルギーの源である風力・太陽光・地熱といった「生命なきもの」の資源化をめぐる動きに焦点をあてる。そうすることで、現代のサハラ以南アフリカにおける資本主義的実践に関わる諸アクターの絡まり合いを明らかにする。

     そのためにグローバルサウスのエネルギー開発に関わる〈とるにたらない〉ような諸存在による活動が予想外の絡まり合いを構築するダイナミクスを捉える。具体的にはサハラ以南アフリカ諸国の中で再生可能エネルギー開発に注力しているケニア共和国の乾燥地域におけるランドスケープ創発のダイナミクスに注目する。そして大地溝帯に建設されたアフリカ最大級の地熱発電所周辺の牧畜社会(マサイ)を対象に、地熱発電所の建設とマネジメントをめぐる国際社会・国家・自治体の政策、企業・アカデミア・NGO/NPO等の活動、地域住民の暮らし、生物・地学的環境やインフラ等の動きの結びつきの諸相を明らかにする。

  • ——数理的「大地」をめぐる存在論的政治——
    森下 翔
    2024 年 25 巻 p. 22-46
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/04/17
    ジャーナル フリー

     本論は、大地の「形」と「大きさ」をめぐる科学研究(測地学)の歴史の記述をつうじて、3つの科学研究における探究の在り方(真理・論争・監視)について考察することを試みる。「形」や「大きさ」といった概念は、一見すると一意に確定可能な対象の属性に見える。しかし大地の「形」の科学的観念は、真球という定性的な形状から扁平率が問題となる楕円体へと、また純粋に幾何的な観念から重力によって定義される物理的な意味合いを帯びた観念へとその内容を変化させてきた。重力場(ジオイド)として規定される現代の大地の形状についての科学的概念は、少数の静的なパラメータによって定義されるものではなくなった。さらに「動的な地球観」の時代に至って、大地の形状は時間変化するものとみなされるようになっている。こうした観念の変化は、科学実践そのものの在り方の質的な変化と手を携える形で共進化してきたものである。本論は、これらの観念の変化の背景にある科学実践の変化を、「真理の時代」「論争の時代」「監視の時代」という3つの種類の存在論的類型に整理して提示する。地球科学においては19世紀中頃以来先駆的に支配的となった「監視の時代」の存在論の類型であるが、現代においては地球科学という個別の科学分野を超えて、科学技術一般の典型的な存在論的類型となっているように思われる。「監視の時代」の存在論においては、もはや思弁に基づく対象の真なる表象が問題となるのではなく、その時間変化をリアルタイムに追跡するデータやイメージなどのアウトプットの継続的産出が問題となる。人びとの多くは、監視のための存在論的ネットワークを維持するためのメンテナンスを担う存在として、存在論を構成する要素の一部として動員される。継続的に産出される生成物と人びとが取り結ぶ関係の在り方こそが、「監視の時代」における社会の重要な課題となるだろう。

  • ──法学の存在論的転回?──
    植田 将暉
    2024 年 25 巻 p. 47-70
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/04/17
    ジャーナル フリー

     「自然の権利」とは、人間だけでなく大地や河川、動植物などの「自然」が諸権利や法的人格を持つ法制度を意味する。本稿はそのような「自然の権利」の歴史的展開と議論を見取り図的に整理し、憲法学と「大地の人類学」が交差するポイントを見出そうとするものである。

     法学に「自然の権利」が新しい考え方として登場したのは、アメリカ合衆国カリフォルニア州のミネラルキング渓谷におけるスキーリゾート開発計画をめぐるシエラクラブ対モートン事件の判決が下された1972年のことである。同判決の反対意見で、連邦最高裁判事のウィリアム・O・ダグラスが「渓谷」が原告となるのが適切であるという見解を示した。ダグラスの反対意見と、それが参照していた法学者クリストファー・ストーンによる同年の論文「樹木は原告適格を持つべきか?」が、「自然の権利」をめぐる現代の議論の出発点となった。その議論は、日本に環境倫理学とともに紹介され、1995年には鹿児島県奄美大島でのゴルフ場開発計画をめぐり、アマミノクロウサギなどの動物を原告として「自然の権利」訴訟が提起された。しかし日本の裁判所は、「自然の権利」は現行法の枠組み内では認められないとして、その主張を退けてきた。

     このような経緯から、従来「自然の権利」といえば、環境訴訟に関する議論と考えられるのが一般的だった。それに対して本稿では、訴訟ではなく立法によって「自然の権利」の承認を進めようとしている、21世紀の「自然の権利」の世界的な動向に目を向ける。2000年代以降、エクアドルやボリビアなどのラテンアメリカ、またニュージーランド、ウガンダ、スペイン、フランスなどで、立法部門において「自然の権利」法を制定し、権利保障を図る事例が相次いでいる。本稿では特にアメリカ合衆国の事例を取り上げ、そこに「自然と人間からなる共同体」の創設と「存在論の法典化」という2つの動きを捉え、憲法学と「大地の人類学」との交接点を浮かび上がらせる。

  • ――ブラジル、アクリ州における植民地的遭遇の諸場面――
    後藤 健志
    2024 年 25 巻 p. 71-93
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/04/17
    ジャーナル フリー

     大地という主題を人類学的に捉えるうえで、主体による客体の捕捉を通じて構築されたシステムが、やがてそれ自体に内在しながら生成された無数の雑音による介入を受けて、他なるものへと生成していく経過に着眼する方法が考えられる。大地に敷かれたシステムとして、本稿で注目するのは、ブラジルで複数の立法を通じて確立され、アマゾニアの森林居住者に集合的土地権を認定するために適用される領土と呼ばれる形式である。この領土には複数の類型が存在するが、本稿では主に先住民居住地と採取保全地について扱う。

     アクリ州のジュルワ川上流域では、1980年代から現代に至るまで、領土の策定をめぐって、森林居住者たちの間で複数の運動が繰り広げられてきた。それらの運動が発生した背景として、彼らの多くが植民地的遭遇の結果としてカボクロ(混血)と先住民の性質を併せもち、いずれの領土の受益者にも合致した特徴を備えている点が挙げられる。同地域では、ゴム園制の打倒に向けた運動のすえ、1990年に採取保全地が策定された直後から、その土地の一部を先住民居住地の形式によって上書きしようとする運動が発生した。

     事例研究では、ジュルワ川上流域で領土の獲得に向けて新たに生成されたパノ系民族であるクンタナワによる先住民運動を、アマゾニア西部におけるゴム経済の浸透を端緒とした植民地的遭遇の一齣として描き出す。また、この事例を通じて、領土をめぐる先住民運動が、同国の法規に従い、人類学者の関与を必然的に要求する点に着目する。この関係性が示唆するのは、大地の工学としてのブラジル人類学の姿であり、その仕事が先住民と官僚機構が遭遇する境界面における観点の翻訳という技能に立脚しているという点である。

特集2 文化人類学とは何でありうるのか——協働、対話、反転の試み
  • ――協働、対話、反転の試み――
    木村 周平
    2024 年 25 巻 p. 94-105
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/04/17
    ジャーナル フリー
  • ――出版から見た「人類学的感性」の拡大と社会変革――
    門田 岳久, 杉田 研人
    2024 年 25 巻 p. 106-124
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/04/17
    ジャーナル フリー

     本論文は、文化人類学における編集および出版の役割とその波及効果を考察し、出版を通じた人類学的知識の拡大への寄与を論じることを目的としている。具体的には、一般書を含む人類学的な著作の執筆・編集・制作・販売のプロセスがどのようにして人類学的実践として機能し、人類学の可能性を広げるのかを検討する。議論の方法としては、人類学を含む人文書の出版に関わるアメリカや日本の危機的な状況を踏まえた上で、研究における編集とは何かということに関し、実務と創造性の両面から整理を行う。次に人類学を「布教」することを謳った人類学書籍専門の出版社、「うつつ堂」が刊行した書籍『トーキョーサバイバー』の編集過程をケーススタディーとして、人類学書の社会的普及に出版という営みがどのように関与しているか論じた。

     出版は長らく人類学のみならず人文社会科学において成果公表の主たる手段となってきたが、出版不況や大学における監査文化の広がり、デジタル化とともに、「紙」の一般書として成果を公表するということが自明でなくなりつつある。自明性を失いつつある書籍の編集・出版という営為は、だからこそなぜ敢えてその方法を取るのか、編集者・出版社の役割は何か、という問いを生み出すことになる。「うつつ堂」が意図する人類学の「布教」活動は、まさにその字面のごとく、非専門家を主たる対象としてより多くの人々に「人類学的感性」を共有することをミッションとしている、ということを本論では描写した。

     結論として本論は、編集・出版が単なる技術的な「作業」ではなく、緩慢な社会変革を促す社会運動的な側面を持つことを示した。書籍の編集や出版を通じて「人類学的感性」を社会に広めることの重要性を強調し、これが結果として人類学自体の再定義や発展に寄与する可能性を指摘した。それに付随して、紙媒体としての書籍が持つ物質的な持続性が、デジタル化が進む現代においてもなお重要であることを主張した。

  • ――アンソロスケープをめぐる試論――
    小西 公大, 根岸 浩章
    2024 年 25 巻 p. 125-146
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/04/17
    ジャーナル フリー

     本稿は、アカデミア外の様々な領域で、期待感と深い関心をもって表明されるようになった「人類学的なるもの」へのイメージを「アンソロスケープ」として定位し、その動態的イメージを掘り下げてくことを目的とする。本稿では、特に先進的な教育実践を行なっているいくつかの主体を取り上げ、その概要を示すとともに、その活動に関わってきた方々のライフヒストリーやインタビューを通じて人類学との接点とそのイメージを把握する。具体的には、社団法人「みつかる+わかる」とその活動体「we are generators」、および島根県の隠岐島前地域、海士町で実践されてきた「隠岐島前教育魅力化プロジェクト」の概要を紹介し、その先進的教育実践の概要と人類学との関わり方を紐解いていく。その後、上記二つの世界との関わり合いのなかで人生を揺さぶられ、その影響から自己変容を遂げた(本稿の共著者である)根岸のオートエスノグラフィー的論考を提示し、そのなかでアンソロスケープがいかなる様相を持って立ち上がっていったかを述べる。最後に社団法人「みつかる+わかる」の代表理事であり、元東京コミュニティスクール校長であった市川力氏と、海士町で教育魅力化プロジェクトに関わり、現在京都で新たな教育・社会実践を構築している澤正輝氏へのインタビューを通じ、それぞれが人類学に見出す可能性の、差異とその共通性を抽出していく作業を行う。

     本稿は、「人類学とは何か」という問題を探索していくことを目的とはしていない。あくまでも「人類学的なるもの」をめぐって、人々がどのような可能性を見出し、希望を託しているのかという曖昧な領域を対象とすることで、人類学的実践やその射程を拡張させていくような試みに資する「構え」を把持しようと試みるものである。そこには、我々が近代という時代に失ってしまった感覚やイマージュの世界に再度光を当てていくような、底流する人々の願いを見出すことになるだろう。

  • ――新規サービス「メルカード」のデザインプロセスを事例に――
    松薗 美帆, 伊藤 泰信
    2024 年 25 巻 p. 147-160
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/04/17
    ジャーナル フリー

     本研究の目的は、近年接近している人類学とデザインの関係性に焦点を当て、企業における具体事例から「人類学によるデザイン」の可能性を検討することである。また、検討を通じて人類学という学の外部から見た人類学の価値(人類学が何でありうるのか)という議論へ貢献することである。本稿では、人類学の実務応用を社会人大学院で学びつつ、企業で日々の実務に携わる「人類学的なデザイナー(anthropological designer)」とでも呼ぶべき立ち位置から、他のデザイナーとの協働プロセスを事例として考察する。具体的には株式会社メルペイの新規サービス「メルカード」のデザインプロセスの微視的な検討をおこなった。当該デザインプロセスにおいて実施されるリサーチは、人類学的な長期のフィールド調査とは異なる1回90分程度のコンセプトテストなどが中心である。実務においては、コンセプトテストによって初期プロトタイプの制作時のデザイナーの仮説創造が促され、デザインの方向性決定がなされるという実務事例を紹介する。さらに短期間のリサーチを反復的に行うことで、デザイナーが顧客視点をより深く理解し、自己と顧客との視点と行き来しながら批判的にデザインを見直す手助けとなった事例を提示する。「メルカード」のカード券面のデザインコンセプトの検討過程では、「私たち個人」と「顧客」の視点を対比させることで、自己の当たり前が相対化され、批判的に再評価されたが、そこでは「馴質異化」という人類学的視点の有効性が看取される。人類学の理論や手法がデザインプロセスに持ち込まれることで、他者への想像力や批判的な視点が強化され、より良いデザインが生み出される可能性が示唆された。ここにデザイン実務応用を通じた人類学の価値の一端が見てとれる。

  • ————シンクタンクと人類学ベンチャー企業との協働事例を通して————
    水上 優, 比嘉 夏子, 八幡 晃久, 粟田 恵吾, 山本 尚毅, 宮下 太陽, 田中 靖記
    2024 年 25 巻 p. 161-178
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/04/17
    ジャーナル フリー

     本論文の目的は、人類学者の設立した企業と大手シンクタンク・コンサルティング企業が出会い、協業するまでのやり取りやプロセスを詳述することで、時に内向きな議論に陥りがちな人類学の問いを、他者との対話や応答の場で交わされる問いへと開いていく可能性を提示することである。具体的には、合同会社メッシュワークと株式会社日本総合研究所がいかにして関係を築いたのかを振り返り、人類学の実践者が産業界と協業する際の過程を記述し分析する。

     本論文では2年を超える期間で行われた、会議や研修、企画案や見積もりの提出、そして顧客への提案活動など、「協業」とひとくくりにはできない、様々な個別の活動全般を対象として考察する。創業前で無名の状態であった人類学者たちは、縁のあったキーパーソンに引き合わされる形で、日本総研のコンサルタント達と出会い、協業関係を構築した。こうしたメンバーの間で交わされた議論や交渉の様子を詳細に描くことで、どのように理解が進み、相互の関係性が変容したのかを検討する。

     結果的に今回の協業が成立するためには、互いの組織の利害だけでなく、実際にやりとりを行う個々人の興味関心やそれまでの経験などの要素が大きく影響を与えた。クライアントの要望に応えつづけることに疑問を持ち、その状況から抜け出すきっかけとして人類学に興味を持った責任者、ビジネスエスノグラフィに関してすでに知見があったコンサルタント、メッシュワークを発見し日本総研に紹介した仲介者、企業との長期的な関係性構築を求めていた人類学者など、どの存在が欠けていても、この協業関係は成立しなかったであろう。

     本事例では、ビジネス人類学の文脈で語られてきたような、知識や方法としての人類学や、ビジネスリサーチ業界で道具化されてきた「エスノグラフィ」など、従来の産業界と人類学の関係とは異なる関係性を構築することに焦点が置かれており、それとは異なったありかたの可能性についても論じる。

  • ———教学IR業務における協働プロジェクトを通じて———
    早川 公, 渡辺 隆史
    2024 年 25 巻 p. 179-197
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/04/17
    ジャーナル フリー

     本研究の目的は、大学運営業務のエスノグラフィックな記述から、人類学者が実務家ととりむすびうる具体的な協働のかたちを示すことである。そのために本稿は、第2節で大学や組織に関わる応用・実践人類学の先行研究を概観する。それをふまえて、人類学者が省察的に組織内の仕事で人類学を実践することを「インハウス人類学」と名づけ、それをつぶさに描写する。

     対象とするのは、O大学における教学IR業務である。O大学では、当該業務に対して専門的職能を有する人材が学内に存在せず、人類学者の早川がリーダーを担うこととなった。そして早川は、「ふつう」のIR業務では扱わない定性的調査を人類学的実践とみなすべくO大学の学修成果の把握に組み込むことにした。このプロジェクト企画において、協働対象として呼び入れたのが実務家の渡辺である。それにもとづき、本稿では、組織内の人類学者と組織外の実務家の両者によるプロジェクト・プロセスの記述を通じて、そこで人類学的知識・方法がいかに参照され、それがプロジェクトにどのように影響を及ぼしたのかを2人で考察する。

     このプロジェクトでは、人類学者は巧みな観察で課題を発見する定性的調査の専門家ではなかった。その代わり、人類学的知識を再帰的に適用しながら、ときにプロジェクトの意義を確認し、またときには開発事業におけるミドルマンのように振る舞った。一方で、渡辺は、「人類学的」とされる部分を協業して担ったが、それだけではプロジェクトを遂行しえないと考え、わかったことをきちんと受け取って何かを「つくる」大切さを指摘した。またインハウス人類学の可能性をいえば、それは人類学者が組織に参与観察して記述するのではなく、人類学者として配置されているわけではないフィールドに立ち、人類学的知識をツールとして用いて「業務」に関与し、さまざまなシンボルをつくり流れを生み出そうと働きかけ続ける姿であった。そこには、調査における方法や態度の専門的知見にとどまらない、より広い視野での人類学者の在野での可能性が示唆されると考える。

  • 磯野 真穂
    2024 年 25 巻 p. 198-200
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/04/17
    ジャーナル フリー
  • 望月 幸治
    2024 年 25 巻 p. 201-202
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/04/17
    ジャーナル フリー
  • 森田 敦郎
    2024 年 25 巻 p. 203-209
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/04/17
    ジャーナル フリー
  • ———反省的創造と即興的行為———
    中村 寛
    2024 年 25 巻 p. 210-212
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/04/17
    ジャーナル フリー
論文
  • ———中国広東省梅州市におけるモノとモノの連関を操作する風水実践———
    ケイ 光大
    2024 年 25 巻 p. 213-242
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/04/17
    ジャーナル フリー

     既存の物質宗教論は、宗教的なものをもつ物質的な側面を強調し、モノと身体の相互作用によって生み出された身体感覚や宗教的体験を重視する一方、モノとモノの連関については十分な議論ができていない。さらに、モノとモノの連関のあり方は文脈によって異なると思われる。その一方、中国の風水思想に関する研究は、モノとモノの連関をめぐる複雑な風水原理とそれに基づく実践に着目してはいるが、モノに対する人間の身体的な感覚や直感的イメージについては議論してこなかった。そこで、本論は物質宗教論と中国の風水思想を結びつけ、風水思想の核心=「勢を取る」(特定の物質的連関に対する配置から、対応する効果を発揮させるための技法)という中国哲学の視点をもとに、中国広東省梅州市における風水実践から、人間がいかにして主体的にモノとモノの配置関係を通じて、大地や天、神々に起源するとみなされる見えない諸力を駆使するのかという技法について考察し、その過程における風水原理(観念論)とモノに対する直感(感覚論)の相互作用を分析するものである。廟の再建をめぐる一連の出来事、および風水の原理を用いて絵を創作する、という2種類の風水実践からわかるように、見えない力を駆使して、現実に特定の影響を与える技法(=勢を取る)の「コツ」は、諸々のモノとモノの連関を正しく配置することにある。また、一見して風水専門家による主知的な風水実践においても、複雑な風水原理と関わらないモノに対する直感的なイメージや身体感覚や曖昧な理解に基づく実践も見受けられる。本論ではそれを「感覚的風水」と名付ける。こうしたモノに魅了される瞬間と感覚は、新たな風水知の形成を促すと考えられる。さらに、勢を取る過程において、廟とその周りの物理的環境、神々などの霊的存在と現実の物質世界、または絵の構図と絵以外の物理的環境はモノに潜んでいる力(気や神力)によって繋がっていて、相互の境界線が存在しなくなるように見えるということを述べる。

研究ノート
  • ――東京都王子「狐の行列」の担い手の新たな取り組みを事例に――
    李 婧
    2024 年 25 巻 p. 243-255
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/04/17
    ジャーナル フリー

      During the 2020–2022 outbreak of the coronavirus disease (COVID-19) pandemic, event hosts in Japan hosting numerous domestic and foreign tourists had to balance between infection prevention and tourism resumption. This paper examines the measures implemented by the hosts in the “Fox Parade” in Oji, Tokyo. The hosts decided to discontinue both the resumption of tourist reception and the “Fox Parade.” Nevertheless, they insisted on organizing local events, albeit with modifications to accommodate the COVID-19 pandemic. The impetus for this new initiative is attributable to shared understanding between the executive committee and other residents, in that the local event is not merely a tourist attraction but also a traditional event for many residents. This awareness has enabled Oji’s local events to demonstrate its resilience during the pandemic.

研究発表要旨
feedback
Top