YAKUGAKU ZASSHI
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誌上シンポジウム
未踏薬学領域の開拓を目指す5年一貫制博士課程—学生は「教わる」から「学ぶ」へ,教員は「教える」から「支援する」へ—
加藤 博章
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2023 年 143 巻 10 号 p. 827-834

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Summary

To empower the next generation of students to become leaders that play active roles in various fields in society, research universities must offer attractive and meaningful doctor of philosophy (PhD) programs in their graduate schools. The Graduate School of Pharmaceutical Sciences, at Kyoto University has trained a large number of researchers who are leading drug discovery science and clinical pharmacy in academia as well as in the pharmaceutical industry, in medical organization and in government. However, due to changes in the trends of students and the evolving skill requirements of future PhD holders to handle the challenges of a changing society, it is necessary to revise the curriculum of our graduate school. Thus, we will reform the graduate and undergraduate school programs by implementing a so-called late specialization program and a double mentoring system and aim to nurture emergent researchers who will explore uncharted areas in pharmaceutical sciences. Toward this goal, we established the Division of Medical Frontier Sciences in April 2022 to replace the former Division of Bioinformatics and Chemical Genomics. This program is Japan’s first five-year integrated doctoral course in the field of pharmaceutical sciences. In this review, I will introduce the background leading to its development construction and provide an overview of the characteristics of this five-year integrated doctoral program.

はじめに

京都大学大学院薬学研究科は,1953年の創設以来,創薬と育薬の基礎となる最先端の生命科学研究を通じた教育により,多くの博士及び修士の学位取得者を学界のみならず製薬業界へ輩出し,人類の健康と社会の発展に貢献してきた.例を挙げると,1985年から1994年まで教授として在籍した藤多哲朗名誉教授が,台糖株式会社(現「三井製糖株式会社」)と吉富製薬(現「田辺三菱製薬」)との共同研究から発明したfingolimod(FTY72)1,2は,世界初の多発性硬化症経口治療薬(商品名イムセラ/ジレニア)として2010年に米国,2011年に日本で発売され,2年後には,いわゆるブロックバスター(年間の売り上げが10億ドルを超える医薬品)として治療に貢献している.さらに,この化合物はスフィンゴシン1-リン酸とその受容体の基礎研究をも大きく発展させた.3同研究科は1997年には大学院重点化による組織改革が行われ大学院の学生定員が倍増するとともに,研究領域が臨床薬学にも拡大された.2007年には,世界に先駆けて薬学と生物情報学の融合を図り医薬創成情報科学専攻を新設して,更に教育研究体制が刷新された.一方,2006年の薬学部6年制教育の開始に応じて,2012年に4年制の大学院薬学専攻を設置し,体制整備の拡充が完成したかにみえた.ところが,この頃から博士後期課程への進学者が減少に転じ2018年には,入学者は往時の半数になってしまった.更に学部生の卒業後の動向を分析した結果,6年制薬学科を経て薬剤師資格を取得した学生の多くが製薬企業に就職しており,薬剤師の職能を活かして大学院へ進学するものが少ないことが判明した.また,学内のアンケート調査などから薬学科と薬科学科の選択を大学入学時ではなく大学での学びを経てから行わせた方が選択のミスマッチが減ることが示唆された.そこで,2018年に学部改革を実施し,学部入学時点では学科選択は行わず一括募集とすることでレイトスペシャライゼーションを導入した.そして,薬学科と薬科学科の定員は15名と65名に変更し,4回生の研究室配属時に学科配属を決定するように改めた.

われわれは,社会の持続的な発展に生命科学の進展と医療の発展は不可欠であることを念頭に,これまでの大学院改革では,あまり顧みられることのなかった大学院教育内容を問題視し,その改革を検討することになった.そのころの社会情勢は,経済活動の低迷と少子高齢化が問題視されるとともに,企業の研究開発力の低下が問題視されていた.その対策として大学院教育の改革を進め,社会の様々な領域に博士人材を送り込んでイノベーションを起こすことの必要性が指摘されていた.われわれは国内外の優れた研究大学の大学院教育制度を調査検討し,京都大学大学院薬学研究科に適した独自の博士人材養成の仕組みを作りあげた.そして,2022年度に薬学領域ではわが国初となる5年一貫制の博士課程を設置した.本稿では,その設置に向けた取り組みの経緯とわれわれの5年一貫制博士課程の特徴について紹介する.

京都大学大学院薬学研究科の教育課程のあるべき姿とは

今回の大学院の改組の目標は,複数の専門領域の多様な研究経験の学びから創発型の薬科学博士が育成される体制を作ることとした.ご存じのように「創発」とは,部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が,全体として現れることである.局所的な複数の相互作用が複雑に組織化することで,個別の要素の振る舞いからは予測できないようなシステムが構成されることを示す用語で,例えば,単なる分子が離合集散し複雑化することで,ある階層から「生命」というそれぞれの要素からは予測できないような性質が生じることを示す.まさにわれわれの目指す科学研究のありようを的確に示すと考えられた.

教育体制の特徴としては,以下の6つを備えることとした.すなわち, 1)学識と研究実技の経験を踏まえた入学選抜を行うこと, 2)個々の学生に合わせたテーラーメードの学位研究・学修計画が建てられること, 3)複数指導体制(ダブルメンター制度)による複数専門分野の習得と研究の発展性・創造性の向上ができること, 4)独自の経済支援の充実(京都大学大学院薬学研究科の卒業生や関係者の寄付に基づく独自奨学金の設立)を図ること, 5)大学外の研究者が教育研究指導へ参加する仕組みを設置すること, 6)diversity, equity, and inclusion(DEI)の推進,特にサクセスモデルの確保による女子学生の研究指導体制の改善を図ることである.これらの仕組みを組み入れることにより,いわゆる「内発的動機づけ」4により学修と研究に対するモチベーションを高めることで,学生は「教わる」から「学ぶ」へ変わり,教員は「教える」から「支援する(指導・助言)」へ変わることが期待される.そして,日本最初の研究型大学として設置された京都大学が120年以上にわたり学風・理念として重んじてきた,学問の自由と対話を根幹とした自学自習が推進されると期待したのである.

現状の大学院研究教育体制の問題点と新たに目指す方向については,当研究科の卒業生を受け入れている大学と企業,そして,教員が研究上の付き合いのあるStanford大学やCornell大学など海外の研究者にもアンケート調査を行って忌憚のない意見と批判を尋ねた.その結果,当研究科の新専攻が目指すべき教育として異口同音に「科学研究者を育成して学会と産業界へ輩出すること」との回答が得られた.特に,高度専門人材としての修士のみならず,自立した研究を推進できる博士人材の育成を求める声が圧倒的に大きいことがあらためて明らかとなった.

京都大学大学院薬学研究科修了者が獲得して欲しいこととして具体的にあげられた上位6項目は,

  • ・研究公正の知識と態度
  • ・一流英文誌への論文投稿と掲載の経験
  • ・最先端の実験技術の習得
  • ・失敗から立ち直った経験
  • ・学会発表の経験
  • ・後輩の研究指導経験

となっていた.これらは,これまでわれわれが大学院での指導において重視してきた事項でもあるが,大学院新専攻の課程設計においても学生が着実に習得できるように組み入れることとした.

区分制大学院の課題と5年制大学院の利点

大学院改革のデザインの議論が進むにつれ,従来の区分制(修士課程2年+博士後期課程3年)の課題が明らかになり,一方,その解決策として5年一貫制博士課程への変更が適しているとの意見が強くなってきた.区分制大学院では,修士課程と博士後期課程で,2回の研究成果をまとめることになるため,実験技能の向上が見込まれる.かつて,日本から欧米に留学したポスドクは,実験能力の高さから引く手数多であり,実際,多くのノーベル賞受賞の実験結果を出すことに貢献していたことはよく知られている.しかし,問題点もある.それは,2回の研究成果をまとめるために実験に多くの時間を取られてしまい,論理的思考力や課題発見能力を育むことが十分ではないことから,経験した専門分野では高い能力が発揮できるものの,未経験の分野に対しては,課題を発見したり,問題を解決する道筋を具体化したりするために必要な能力の養成がかならずしも十分とは言えず,幅広い分野におけるリーダーとなるための能力開発ができていないことである.また,実験と単位習得が忙しく時間的な余裕がないことは,留学や研究インターンシップなどへ参加する機会の確保の妨げになってもいる.さらに,2年と3年に区分されるため,結果が得られ易いテーマを選ぶことになり,長期視点の挑戦的な研究テーマに挑むことは難しくなる.これらの問題点は,5年一貫制博士課程では解消することができるため,欧米の研究大学出身者が多様な分野で活躍できる原因となっている.さらに,海外の多くの5年一貫制の大学院制度では,学生が一つの研究室の中にとどまらず,複数の専門の異なる教員からの研究指導を受けられる仕組みが備えられているため,研究の発展性や創造性が拡大することになる.さらに,この複数指導体制は,単一研究室で学生が感じる指導の偏り・不十分さの解消や,ハラスメントなどへの早期対応を可能とし,研究不正の防止にも役立つことが期待される.

日本における5年一貫制博士課程

欧米の博士学位取得者の育成を主な目標とする大学は5年一貫制であるが,日本では,いったん採用しても撤退してしまった大学の例があるなど,大学関係者の間では評判がよいとは言えない.例えば,筑波大学大学院生命環境科学研究科では,2007年に5年一貫制から区分制への転換5が行われている.その原因は,日本では多くの学生が修士課程を修了しただけで企業への就職を希望し,博士学位を取得してから社会で活躍しようとする者が少ないことが挙げられている.5年一貫制博士課程を導入した大学では,2年後に「修士相当」の称号を得て中退する学生が多いことが問題視されている声をよく聞く.しかし,米国の5年一貫制大学院でも5年を全うし博士学位を取得できるのは平均で40%であり,6残りの6割は2年から3年次へ進級できずに退学するのが現実である.ただし,米国ではこの退学は敗北ではなく,修士学位を取得して専門を活かした職に就くための適切な進路選択であると前向きに評価する.この仕組みが効果的な競争意識を高め,博士学位取得者の学修意欲の外発的な動機づけ4となっており,高い大学院レベルの確保を可能にしているのである.

日本における大学院設置基準7でも,5年一貫制博士課程は効率的で効果的な教育課程を実現するために工夫された制度設計となっており,上述の区分制課程の欠点としてあげた問題を解消するためにふさわしいものとなっている.詳しくは後に述べるが,課程の修了に必要な単位数は,2年間の修士課程と同様であることから,優秀な学生の場合は,3年間程度で学位取得に必要な研究と科目履修を完了し,残りの2年間を留学や研究インターンシップに利用することも可能となっている.修士学位取得のための論文作成を必要としないことから,その分の時間を利用して,合理的に研究テーマを見つけるための研究論文調査や,論文を執筆するために必要な英作文のスキルを向上させる訓練に時間を割くことができる.さらに,学外の研究機関で新規に開発された実験手法を習得に行くために利用することにより,学位研究の価値を格段に上げるために利用することも可能である.

京都大学大学院薬学研究科の体制

現実的な視点に立つと,大学院のすべての専攻を5年一貫制にすることには無理がある.なぜなら,多くの学生が修士課程のみを修了して企業への就職を目指すことも,その希望に応えることも大学院の重要な任務であるから.そこで,われわれは5年一貫制博士課程と従来の区分制課程を併存させることを選択した.そして,それぞれの専攻が輩出することを目指す人物像には,明確な違いを設けることとした.すなわち,5年一貫制博士課程(創発医薬科学専攻)は,薬学における未踏領域を開拓する創発型の研究人材の育成を目的とし,区分制課程(薬科学専攻)は,薬学基盤科学を深く掘り下げ,革新・発展させる研究・技術人材の育成を目指すこととした(Fig. 1).京大薬学の大学院としては,更に4年制博士課程(薬学専攻)が,薬剤師資格を有する博士人材として,高度医療を改革できる研究型博士薬剤師の育成を目指すことを任務とすることにした.

Fig. 1. Overview of the Structure of the Graduate School of Pharmaceutical Sciences, Kyoto University

京都大学大学院薬学研究科の5年一貫制博士課程の新専攻(創発医薬科学専攻)の概略

ではFig. 2に基づいて,5年一貫制課程の概略を説明する.中央の1年次から5年次までの矢印を挟んで,右側が科目履修(コースワーク),左側が学位研究の課程となる.新入大学院学生は志望した研究室(分野と呼んでいる)に配属され,研究室主任の教授又は准教授がその主指導教員となる.まず,学生は主指導教員と相談して履修計画書individual development plan(IDP)を作成して大学院での学修のゴールを設定する.そして,そのゴールに応じて履修する科目を選抜する.例えば,企業での合成化学研究者を目指すのであれば,有機化学や生物物理学関連の講義や統計学(データサイエンス)関連の講義の履修が有効であろう.履修科目のうち,1, 2年目に必修となっているのが,研究公正を学ぶ「研究倫理・研究公正」講義,そして,学位研究テーマ検討の能力を鍛えるための科学論文解読演習と研究計画書や論文を書くための能力を開発するための研究計画作文演習である.これによって,学位研究を開始するためにパスしなければならない試験preliminary qualifying examination(PQE)を受けるための学位研究計画を自ら立てる能力を醸成する.PQEは,学生の学位研究の監督と指導助言を行う学位申請諮問委員会(dissertation advisory committee: DAC)が行う.したがって,学生は1年目の秋に,主指導教員と相談してDAC委員をお願いする研究室外部の教員を最低2名選び就任を打診して,研究科会議を経て研究科長の承認を得る必要がある.DACの委員となった教員は,副指導教員として当該学生の研究指導を研究室の外から実施することで,ダブルメンター制度が成立する.一方,左側の学位研究については,1年,2年目は,実行性のある学位研究計画を作成するために必要な予備研究や準備研究を行うことになる.この指導は主指導教員によって所属研究室を主体に行われる.学生はDACによるPQEに合格すれば,学位研究を開始することになり,最低1年に1回DACに研究の進捗を報告して指導を受けることにより,各自のペースに応じた研究活動を実施することができる.そして,研究成果がまとまりPQE合格の際に掲げた目標の投稿論文の受理に目処が立つとともに,科目履修における単位取得が達成できたことを要件とするDACのsecondary qualifying examination(SQE),すなわち学位予備審査に合格すれば,学位論文の提出が許可される.提出された学位論文を審査するのは,京都大学の規程によって作られる学位審査委員会となりDACではない.

Fig. 2. Overview of the 5-year Integrated Doctoral Program of the Division of Medicinal Frontier Sciences

PQEとSQEという2つの資格試験の目的と評価項目についてはFig. 3に示した.日本の5年一貫制博士課程では修士論文の審査に合格する代わりにPQEに合格することが進級の条件となっている.PQEをいつ受けるのかは,個々の学生の学修進度によって1年程度の差異を認めることにより,個々の学生の能力開発の多様性への配慮が可能となっている.さらに,PQEの合格については,論文投稿に対する審査のように,改定や実験の追加を条件とするなどによって,実質的な研究指導に対する効果を重んじている.

Fig. 3. Preliminary and Secondary Qualifying Examinations

博士学位研究の実施・指導・審査の体制の根幹:学位申請諮問委員会DAC

従来は,所属研究室の主任教授を中心に研究室の所属教員の協力指導体制で行われてきたが,それを研究科全体で指導と評価,そして研究実施の支援を行うように改めた.その仕組みとして,DACを学生毎に設置した.DACは,所属研究室の主任(教授又は准教授),所属研究室外の教授又は准教授で構成される.さらに,必要に応じて,学内外の委員を追加できることにした.研究室外の教授又は准教授は,副指導教員としていわゆるメンター(mentor)を務めることで,異分野融合研究の加速,客観的な研究の評価を可能とし,一方で,ハラスメントの防止や研究公正の監視,教員の移動や退職により学位取得が阻害されることを防ぐことができる.そのため,DACの委員長には,所属研究室外の教授が就任する規定としている.

5年一貫制博士課程の入学試験の特徴

区分制では,とりあえず修士課程に進んで自己の適性を見てから博士の進学を考えることができるが,5年一貫制ではそれが不可能となる.そこで,入学試験については,知識を問うための学力試験だけでなく,研究実技の経験を踏まえた二段階の選抜制度を導入した(Fig. 4).まず,従来の修士課程の試験に合わせ8月に一貫制博士課程と区分制修士課程大学院の学力試験を一括して実施する.このときの合格者は,まだどちらの課程へ進むかを決定せず,大学院の入学資格を獲得する.その後,合格者は,2月まで卒業研究に勤しみ,研究者へなりたいという志望と研究への適性を十分に検討する.一方,指導教員には,当該学生の博士学位取得への適性をじっくりと評価してもらう.これは,学外から受験した学生とその指導教員にも事情を丁寧に説明して対応をお願いすることになる.

Fig. 4. Overview of the Entrance Examination System for the 5-year Integrated Doctoral Program

そして,2月には,本人からの志望願と指導教員によるルーブリック形式による評価書,そして,卒業研究等の内容の口頭発表と質疑応答(口頭試問)による2次試験を実施する.これに合格すると一貫制博士課程へ進学となる.一方,これに不合格であったとしても修士課程への進学により,2年後に博士後期課程への挑戦の機会は確保される.

京都大学薬学部では,学部3回生のときに,専門研究導入という研究室選びのためのいわゆるローテーションを行う仕組みを導入している.そのため,大学院入学の際に特定の研究室を選ぶことになる現在の仕組みは,ミスマッチをいくらか防げている.しかし,外部から受験する学生にとっては,その機会がないことは問題であるかもしれず,8月の試験前に3月と6月に実施している大学院入試説明会と研究室見学会をぜひ有効に活用してほしいと薦めている.

研究科独自の博士課程後期学生への経済支援制度

大学院生への経済支援制度としては,日本学生支援機構(Japan Student Services Organization: JASSO)によるいわゆる返還の必要な貸与奨学金と,日本学術振興会(Japan Society for the Promotion of Science: JSPS)による返還不要の給付型研究奨励金のみであった.そこで,われわれは,藤多哲朗名誉教授からの寄付を原資として2020年に京都大学大学院薬学研究科の独自の給付型奨学金制度を設立した.さらに,2022年度には本学の卒業生である澤井製薬社長及び同社からの寄付を基に澤井奨学金を設けて,博士学位を目指す学生の経済支援を実施している.

ちょうど同時期に,文部科学省高等教育局大学振興課では,平成27年9月に文部科学省中央教育審議会から博士課程(後期)学生の処遇の改善の必要性の指摘を受け,博士課程学生の経済的支援状況を調査し,更なる経済的支援の充実が必要であると調査結果を踏まえた考察を平成29年3月に公表した.これを受けて政府が動き,2つの給付型研究奨励金の制度,文部科学省の大学フェローシップと,JSTの次世代研究者挑戦的研究プログラムが創設された.8,9 2022年時点では,京都大学大学院薬学研究科の博士課程(後期)の学生の半数以上が,返還義務のないこれら経済支援のいずれかを受けられるようになっている.

ジェンダーギャップの解消とDEI推進への取組み

博士課程の充実を図る際に対応が必要なことは,構成員の多様性を確保することである.日本はジェンダーギャップの悪さがOrganization for Economic Co-operation and Development(OECD)加盟国153のうちで121位という状況にあり,研究人材に占める女性比率も著しく低い現状がある.その中で,医薬健康系は,他の専門領域と比較して研究者の女性比率は高いことが知られている.確かに薬学部は,理系学部の中で女子学生の割合が比較的高い.京都大学の場合は,薬科学科:男63.0%,女37.0%;薬学科:男44.3%,女55.7%となっている.ところが大学院では,修士課程では男63.4%,女36.6%とほぼ変わらないものの,博士後期課程(5年一貫制を含む)男73.3%,女26.7%;そして,4年制博士課程:男82.7%,女17.2%と女性比率が大きく減少してしまう.この原因として考えられることの1つは,京大薬学では,開闢以来女性教授がゼロであり,学生に対していわゆるガラスの天井の存在を暗に示してしまっている可能性や,シニアの女性研究者というサクセスモデルの不在が,進学の可能性を妨げていることが考えられる.

そこで,5年一貫制博士課程の改組にあたっては,国際的に優れた研究を先導している女性研究者をお招きした研究セミナーシリーズを企画して,これまで京都大学大学院薬学研究科が未踏の学問領域の人材発掘を大々的に行った.今後ともこの活動を続け,教授だけでなく,広い年齢層の研究者をプロモートして行く計画である.この取り組みから,新専攻に設置した新たな研究室には,京都大学大学院薬学研究科史上初となる女性教授を迎えることができた.これにより博士課程(後期)に進学する女子学生にサクセスモデルを提供することができる.

もう一つの必要な取り組みは,他大学や学内の他学部そして海外から大学院へと進学した学生に対するケアの仕組みが充実されることである.大学院から京都大学へ進学した学生は,京都大学の自由な学風に馴染めず,放置されるように感じてしまったり,既にでき上がっている人間関係に途中から入れないことが生じていたりするようである.特に,2020年春ごろからのコロナ禍によって直接会う機会が阻害されて問題を抱える人数が増えている.そこで,京都大学大学院薬学研究科・薬学部では,DEI推進を目的とする委員会を設置しすべての構成員が互いの違いを尊重して学修・研究・仕事ができる環境の整備と問題の解決に取り組むことを進めている.この取り組みによって,京都大学薬学部外からの学生が安心して大学院へ進学できる雰囲気が醸成されるものと期待される.

まとめ

企業の競争力の低下や少子高齢化などの問題解決には,博士人材の育成が不可欠であると政府からも経済界からも提言が示されている.しかし,博士学位を取得した人材が得ている給与は欧米諸国と比較すると初任給に2倍ほどの大きな開き10があり,大学院の学費を支援するだけでは欧米並みの進学者を確保することは容易ではないだろう.

一方,科学研究は,金銭の対価だけで取り組めるような労働とは異なり,知的好奇心の強さが,無知(未知)を既知に変えたいという強い願望によって推進される11ものであり,指導者が学生を強制することでは,たとえ実験がうまくいったとしても学生が研究者になりたいとは思わないだろう.4新専攻では,学生が自ら行動を起こすような仕組みを心がけた.教員は学生の学修や研究の提案を支援する側にまわり挑戦を後押しするのだ.また,学生はダブルメンターを得ることで,例えば,受容体の立体構造解明から発想したアゴニストのデザインについて有機合成化学のメンターに相談して自ら合成してみるような例が出てくることが期待される.さらに,薬理学の専門家との相談によって細胞や動物を用いた応答を学生同士の協力で実施することもできるかもしれない.James Blackは,大学と企業を数回行き来して分析薬理学の方法論の構築と実用的な薬物(アドレナリンβ受容体遮断薬とヒスタミンH2受容体遮断薬)の発明を成し遂げ,1988年ノーベル生理学・医学賞を受賞している.また,2012年にGタンパク質共役受容体の研究でノーベル化学賞を受賞したBrian Kobilkaは,ポスドクのときに自らクローニングしたβ2アドレナリン受容体の遺伝子から得た受容体タンパク質の結晶解析に20年かけて徐々に問題を解決し到達している.このような薬学に変革を起こす研究者がわれわれの5年一貫制博士課程から輩出されることを夢見ている.

謝辞

お忙しい中,原稿を精読し適確なコメントを頂いた高須清誠教授に感謝いたします.

利益相反

開示すべき利益相反はない.

Notes

本総説は,日本薬学会・日本学術会議共同主催シンポジウム「21世紀の新しい人材育成に向け薬学教育はどこへ向かうのか?」で発表した内容を中心に記述したものである.

REFERENCES
 
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