2023 Volume 143 Issue 5 Pages 419-420
今日の創薬では,抗体医薬や核酸医薬,細胞医薬など,バイオテクノロジーの発展を基盤とした新しい医療モダリティに関する研究が活性化している.これらの画期的なモダリティは,再生医療や予防医学など,新時代の医療の担い手として大きな注目を集めている.一方で,化学合成を基盤とした低分子医薬品や生物機能分子の開発では,近年,元素多様化による構造新規性や多様性,また多機能化というアプローチが高い支持を得ている.例えば,従来の低分子創薬では,炭化水素を基盤として,窒素,酸素,硫黄,ハロゲンといったいわゆる汎用元素を用いた化合物展開がほとんどであった.しかし21世紀に入り,ボロン酸誘導体であるボルテゾミブがホウ素原子を含む初の医薬品として承認されたのを契機として,2022年時点までに計6種のホウ素含有医薬品が上市に至っている.また,2016年にはホスフィンオキシド誘導体であるブリグチニブが承認されるなど,旧来のメディシナルケミストリーでは顧みられることのなかった非汎用の元素や官能基の持つ可能性が脚光を浴びている.これらの非汎用元素を用いた,創薬における元素戦略ともいえるアプローチは,汎用元素に偏った合成低分子創薬のケミカルスペースに新たなフロンティアを開拓し,革新的な医薬品の創製を可能にすることが期待される.さらに,多彩な元素の特性を活用した生物機能分子の開発は,バイオエンジニアリングの分野においても重要性を増している.特にホウ素が示す物理化学的性質に目が向けられ,ボロン酸が持つ生体分子への認識能や相互作用を活用した新たな疾患診断法や治療法の開発,あるいはドラッグデリバリーシステム(drug delivery system: DDS)への応用が盛んに研究されている.このように,個々の元素が持つ可能性に着目しその潜在能力を引き出すことにより,新たな創薬イノベーションを切り開くことが可能になると考えられる.
そのような背景から筆者らは,非汎用元素の力を最大限に引き出すことで,革新的な医薬品や生物機能分子の開発,そして新時代の創薬イノベーションを後押しすべく,本シンポジウムを企画した.創薬及びバイオエンジニアリング研究の第一線で活躍する研究者をシンポジストとしてお招きし,第2周期元素から第5周期元素まで周期表横断的に,また有機–無機ハイブリッド分子からゲノム編集技術まで分野横断的に,次世代の創薬イノベーションを議論する場となることを意図した.
最初に太田が,「ホウ素クラスターの基礎化学的研究から実践的な創薬研究まで」と題して,含炭素ホウ素クラスターであるカルボランに関して,その性質に関する基礎研究と,カルボランの特性を活用した生物活性化合物の創製について報告した.ホウ素は前述の通り,特にボロン酸誘導体に関する創薬研究及びバイオエンジニアリング研究が盛んに行われているが,その他のホウ素化合物も大きな潜在能力を秘めている.ホウ素クラスターの1つであるカルボランは,正二十面体という特徴的な構造,高い疎水性と化学的安定性を示すホウ素化合物である.そのようなカルボランの持つユニークな性質を巧みに利用することで,革新的な生物機能分子が創製可能であることを実証し,創薬イノベーションにおけるホウ素戦略の幅広い可能性を示したと考えている.
次に,東京理科大学の森修一博士から,「六配位フッ化硫黄構造を有する生理活性分子の開発」と題して,六配位硫黄構造を持つ生物活性化合物について,主に核内受容体リガンド創製への応用に関して講演を頂いた.ペンタフルオロスルファニル(pentafluorosulfanyl: SF5)基は,非常に強い電子求引性と高い疎水性,そして大きな体積を有し,スーパーCF3基とも呼ばれる.また,テトラフルオロスルファニル(tetrafluorosulfanyl: R–SF4–R′)構造は,直線型に二個の構造単位を連結するユニークなリンカー構造としての応用が可能である.これらの六配位フッ化硫黄構造を活用することで,生物機能分子の構造多様性拡張に大きく寄与することが期待される.
愛知学院大学の安池修之博士からは,「有機アンチモン化合物の創製とバイオオルガノメタリクス」と題して,様々な有機アンチモン化合物の合成と化学反応性,そしてその抗腫瘍活性について講演を頂いた.有機金属化合物や錯体分子などの有機–無機ハイブリッド分子は,有機合成化学の分野では多岐に利用されているが,生物学や創薬化学での応用は未発達である.一方,第5周期元素であるアンチモンは,材料科学の分野で無機化合物を中心に幅広く利用されているほかにも,ハイブリッド分子であるスチボグルコン酸ナトリウムが抗寄生虫薬として利用されるなど,少ないながらも医薬応用が進んでいる元素である.アンチモンをはじめとした高周期典型元素は,同族の低周期元素とは異なる性質を持つものも多く,その性質を解明するバイオオルガノメタリクス研究の展開から,新たな創薬シーズが創出される可能性は高い.
東京医科歯科大学の松元亮博士からは,「“ボロノレクチン”による生体対話を通じて切り拓くバイオエンジニアリング」と題して,ボロン酸の分子認識能を用いたバイオエンジニアリング研究について講演を頂いた.ボロン酸は,糖との結合性からしばしば「ボロノレクチン」と形容される.そのような「ボロノレクチン」の機能を活用した疾病診断やDDSの研究の中から,糖尿病治療を目的としたグルコース応答型インスリン供給システムの開発や,シアル酸認識によるがん標的治療法の研究等について講演を頂いた.ボロン酸の分子認識と親水性/疎水性の変化を利用した環境応答の機能性材料の開発は,新時代の医療の発展に大きく寄与すると考えられる.
最後に,東京工業大学の西山伸宏博士から「高分子の精密設計に基づくがん診断・治療用ナノマシンの創製」と題して,ボロン酸とポリビニルアルコール(polyvinyl alcohol: PVA)の複合体を用いたホウ素中性子捕捉療法(boron neutron capture therapy: BNCT)の研究,そしてpH応答性のボロン酸エステルを利用した医療用ナノマシンの研究について講演を頂いた.BNCTはホウ素原子の核反応を用いた最新のがん治療法であるが,ボロン酸とPVAの相互作用を利用することで,治療効果の飛躍的な向上に成功した.また,ボロン酸エステルを利用して開発したナノマシンは,生物製剤の標的選択的デリバリーやin vivoゲノム編集技術を可能にし,次世代の創薬イノベーションの実現を大きく後押しするものと考えられる.
本第142年会も新型コロナウィルス感染症の拡大によりオンライン開催となったものの,シンポジウムには多くの視聴者が集まり,元素の力を利用した次世代の創薬イノベーションについて活発な議論が交わされた.本誌上シンポジウムでは,太田のほか,森修一博士,松元亮博士,西山伸宏博士に,シンポジウムでの講演内容を中心に,次世代の医療の創出において元素が持つ潜在能力に焦点を当てて執筆頂いた.本誌上シンポジウムが,革新的な生物機能性分子の創製と新時代の創薬イノベーションの創出,またそこに至るアイデアの一助になれば幸甚である.
日本薬学会第142年会シンポジウムS29序文