本論文では横光作『上海』の原作と英訳を異国性の醸成という観点から考察した。英訳では日本と上海、東洋と西洋という図式が強調された結果、日本人登場人物の故郷と異国の間にいる中途半端な自己は十分に描かれていないと考えられる。また原文では英語の会話はすべて日本語文で書かれており、日本語読者の想像にゆだねられている。原文は英語で話すことの特権性を印象づける作用もあるが、英訳ではそれを認識するのは難しいだろう。そして原文での都市の不穏な空気感、宮子や参木、甲谷を待つ不吉な未来への予感は「辷る」という言葉の連続性によって維持されていると考える。しかし英訳では様々な訳語が用いられることにより、個々の場面が連続している印象が薄まることがわかった。