そこでブ氏獨特の性質を概括していふとかういふことになる。視力は特に缺點もないが、飛切上等でもない。恐らく特に鋭い視力がなければ射撃に上達が出來ぬといふことはない、近視か亂視でも、眼鏡で補ひが出來るから、名射手たるに妨げない。又射手には一方の眼を閉ぢてするものが多いから、兩眼輻輳作用に缺陷があつても、甚だしい妨害にはならない。
銃を的のところにもつて行くのに必要なる筋肉が不動性を具へてゐることは大に必要なる條件である。特に氣が散つたり、心配したり、自己暗示をしたりするために、不動性を妨げるやうなことがあつても、それに抵抗することが必要である。人によつては、射撃中、自分の動搖することを氣にするものもあるが、氣にするために却つて動搖を増すことが多い。無論、名射手の中には、よく動搖するものもあるから、不動性が絶對に必要であるといふ譯ではないが、射撃上、不動性が大に有利であることは明らかである。
引金を引く際の指の筋肉管理の細かさも大に關係があるであらう。尤もこの機能は反應時間の檢査の結果と併せて考ふべきものである。
ブ氏はこれ等の檢査において、眼と手との間に極めて細かい關係のあることを示した。檢査や射撃の際には、よく興奮して失敗するものであるが、ブ氏にはさういふことが絶對になかつた。即ち目標が合はぬ中に引金を引いたり、目標が合つても、引金を引く方が遲れたりするやうなことはなかつた。要するに冷靜にして敏活、且一様なる反應、これが最も大切なるものであらう。これと、一般筋肉管理の不動性とが、射撃熟達の根本要素であると思はれる。ブ氏の技術は如何なる程度まで天性によるもので、如何なる程度まで練習に基づいて發達したものであらうか。これは大切な問題であるが、以上の檢査だけでははつきりしたことはわからない。徴兵壮丁の中から任意に百名を選び出して見ると、射撃に慣れてゐるものは少しで、その他は少し練習したもの又は少しも經驗のないものであらう。この中から練習すれば上手になる見込のものを選び出さうとするには、習得の能力でなく、生得の能力を檢査するやうな方法を用ひなければならぬ。それから射撃の經驗は澤山あるが、少しも上手にならない人について檢査して見なければならぬ。若しその檢査が生得能力の檢査として確實のものであるならば、必ずその成績が惡いに相違ない。たヾこゝに附言しておくべきことは、十人の學生の中、射撃の經驗の最も多いものは、檢査の成績の尤も惡い方に屬して居り、檢査の成績の尤も佳かつたものは、一生の中に數へる位しか射撃したことのないものであつた。
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