三菱史料館論集
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選択された号の論文の9件中1~9を表示しています
  • 三菱商事における取締役会議事録の分析
    大島 久幸, 結城 武延
    2025 年2025 巻26 号 p. 1-27
    発行日: 2025/03/20
    公開日: 2025/03/21
    ジャーナル フリー
    本論文では三菱財閥傘下企業の意思決定過程について、三菱商事を事例として、1930年以前の取締役会議事録を詳細に分析することで、その変化と特徴を明らかにすることを目的としている。分析の結果、三菱財閥傘下企業の取締役会の役割は、1920年代以降に有効に機能し始めた。傘下会社の取締役会では、合資会社が事前に事業に関与できることで、合資会社のポートフォリオや財閥全体の利益を優先して専門経営者の判断に直接介入できた。その点で財閥は、取締役会を通じて専門経営者を規律付け、資本効率を高める仕組みを持っていたと考えられる。
  • 三菱・岩崎家と日本鉄道株式会社
    中村 尚史
    2025 年2025 巻26 号 p. 29-55
    発行日: 2025/03/20
    公開日: 2025/03/21
    ジャーナル フリー
    本稿は、三菱・岩崎家の投資先企業との関係を日本鉄道の事例に即して解明し、明治期の企業統治における大株主の役割を再考した。具体的には岩崎彌之助の「物言う株主」としての行動を追跡することで、大株主の監視行動の実態を明らかにした。その結果、岩崎家が役員会や株主総会といった公式のチャネル以外に、経営首脳への直接勧告という非公式のチャネルを持っていたことが判明した。大株主は独自の情報収集とその分析を通して投資先の経営内容を把握し、必要に応じて経営に介入することで、投資先企業の規律付けを行っていたのである。
  • 畜産経営多角化と牧草栽培の問題を中心に
    上西 晴也
    2025 年2025 巻26 号 p. 57-113
    発行日: 2025/03/20
    公開日: 2025/03/21
    ジャーナル フリー
    本論文では1900年代の小岩井農場において, 農場経営が長期的に持続する要因となった, 畜産部門の多角化と牧草栽培の拡充が実施される過程を, 経営体制が事業内容に与えた影響に着目して検討した。 その結果, 畜産部門の多角化は1899年に岩崎家から経営を委託された御料牧場幹部によるトップダウンの意思決定で実施されたこと, 牧草栽培の拡充は1906年に岩崎家が農場を直営化した後, 現場からのボトムアップの提案で実施されたことを示し, 経営体制の変化が事業内容に大きな影響を与えたことを論じた。
  • 太田 知宏
    2025 年2025 巻26 号 p. 115-140
    発行日: 2025/03/20
    公開日: 2025/03/21
    ジャーナル フリー
    三菱合資会社は、いわゆる千町歩地主として新潟県において地主経営を展開した。本稿は、明治後期の新潟県における機械排水の展開を踏まえつつ、土地改良史上における三菱合資会社の歴史的役割を分析した。土地改良に対する三菱合資会社の積極姿勢を背景に機械排水は進展し、農業用揚水機として技術的・経済的に優れた蒸気機関渦巻ポンプが普及する契機がもたらされるとともに、機械排水における技術水準の高度化が要求されたことに伴い、排水機の製造者に変化が生じたと考察した。
  • 三菱系金融機関の引受に言及して
    粕谷 誠
    2025 年2025 巻26 号 p. 141-158
    発行日: 2025/03/20
    公開日: 2025/03/21
    ジャーナル フリー
    本稿は戦間期の公社債引受を考察している。府県債は民間では、証券会社・信託会社引受が中心で、市債では地元銀行のシ団引受が行われた東京・大阪市と証券会社や信託会社による引受が多かったその他の都市という違いがあった。事業債では銀行引受が多かったが、金融債なかでも農工債券では証券会社引受が多かった。三菱系金融機関では、三菱銀行が他の有力銀行並みに引き受けていたが、三菱信託はあまり振るわず、明治生命保険は事業債引受が生命保険で1位だったほかは引受がなく、東京海上保険は地方債・社債の引受がなかった。
  • 兒玉 州平
    2025 年2025 巻26 号 p. 159-188
    発行日: 2025/03/20
    公開日: 2025/03/21
    ジャーナル フリー
    旭硝子は,1936年に秦皇島に所在する耀華硝子を傘下に置いたが,その目的は旭硝子の子会社である昌光硝子(大連)の華北における販売網の立て直しと,低級品輸出拠点の創出にあった。しかし日中戦争が勃発すると耀華硝子を取り巻く経営環境は一変する。ただし旭硝子・昌光硝子が戦時統制によって減産を余儀なくされたのに対し,耀華硝子は原材料確保におい優位を保持し,戦時にはかえって旭硝子全体における地位を相対的に向上させた。
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