本稿の目的は、第二次世界大戦の終戦前後に、ドイツで起こった反ファッショ委員会運動と呼ばれる社会運動について、活動規模やその発生のしかた、どのような活動を行い、何を要求したのか、このような活動を行うにあたってどのような組織構造をとり、担い手はどのような人々であったのかということを明らかにすることである。
反ファッショ委員会運動は、一般に1945年の5~6月にピークを迎えた運動であり、全国的に展開されつつも占領軍には一度も公認されず、「非ナチ化」の活動によって「黙認」された運動であった。ドイツ国内で展開されていた反ナチス抵抗運動組織が母体となり、地域的には労働運動が伝統的に強いとされるところや戦前での国政選挙での得票率がナチスと拮抗、またはやや上回る地域で大規模に展開される傾向がある。
しかし、この運動に関する先行研究は多いとは言えない。ドイツにおける研究状況も、特に1976年~1978年に集中している。執筆者が1968年の学生運動をじかに体験した世代であり、当時の社会・政治状況も影響していることがその要因の一つだと言えるだろう。
反ファッショ委員会運動は、非ナチ化と生活再建を主たる柱とし、非ナチ化活動によって占領軍にその活動が「黙認」された。実際に、住宅調達や生活物資の配給を担うほか、反ファッショ委員会の活動家はナチス戦犯に関わる情報を占領軍に提供して捜査に協力した。また、こうした活動を通じて実際に市長や市の職員として行政に携わるようになる、というのが画期的な点である。活動家の属性を見てみると、都市によってばらつきはあるが、30~60歳代の男性労働者層を軸とし、かつ戦前の所属政党を見ると社会民主党や共産党など労働者政党の党員や支持者が多く参加していることが分かった。
こうした活動は政党ができる前から体制内から変革しようという性格を持ち、政治的再出発の自律的な試みだと言える。
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