東京電力福島第一原子力発電事故(以下、原発事故)から10年が経過した。地域社会の復興・再生が進む中で、ここ6年で目立つのは、東日本大震災(以下、震災)の記憶・記録の伝承活動である。公立の伝承施設も次々と開設されている。これは、2015年5月に国の「復興構想7原則」において、震災経験の伝承に重きが置かれたことや、2018年12月、復興庁が「「復興・創生期間」後における東日本大震災からの復興の基本方針」において、「復興の姿の発信、東日本大震災の記憶と教訓の後世への継承」を掲げたことも影響している1)。それに加えて、2017年の震災に関する意識調査では震災への関心が薄れ、風化しつつあると答えた福島県民が7割に上ることが示しているように、震災・原発事故の記憶自体が忘れ去られるのではないかという危惧がある2)。こうしたことから、原発事故を含めた震災経験の伝承は地域の復興や再生していく上で重要な課題の1つとなっている。
本報告は、戦後76年にわたり原爆(戦争)経験の継承実践を行ってきた知見の検討を行い、それが原発事故を含む震災経験の伝承において、どのように活かすことができるのかについて検討する。
終戦から76年が過ぎ、原爆(戦争)を経験していない世代が、この経験の何をどのようにして継承していくのかが、課題となってきた。報告者を含め研究者も、こうした継承の課題に向き合い「何を」「どのように」継承していくのかについて考えてきた。
何を継承するのかについては、社会学的記憶論に依拠すれば、時代ごとに重視される諸々の経験は異なる。例えば、核戦争の脅威が現実味を持っていた冷戦期と冷戦崩壊後に戦争責任が大きく取り上げられていた時期とでは、強調される原爆経験の語りは異なっているように思える。さらにいえば、原発事故以後に継承すべき原爆経験も同様のことが言えるのかもしれない。しかしそれでも、長崎・広島では約70年以上、原爆体験の継承実践が行われてきた点を踏まえると、時代や社会が変わっても変わらない部分がある。それは底流にあるものと言えるのかもしれない。
こうした側面を
好井裕明
(2015)は「被爆者の『生』と『リアル』の継承」と呼んだ。継承において「被爆をした人が、具体的な苦悩や不条理を体験するなかで、まさにひとりの人間として「生きている」という事実を、被爆者の語りから私たち(継承する側)が感じ取れる」かどうかが重要であると述べている
3)。継承することとは、原爆被爆したときの経験だけではなく、被爆者が原爆と向き合い生きてきた戦後史、生活史そのものを理解することであるという指摘である。それ以外にも「被爆者の思いを引き継ぐ」という表現もよく聞かれる(これは井上義和が「遺志の継承」
4)と表現したこととも重なる)。
では、それを「どのように」継承していくのか。これについては小倉康嗣(2021)の「能動的受動性」・「記憶の協働生成」という側面5)や、井上(2021)による継承の回路の短絡化などが指摘されている4)。そこでは、継承とは経験者と非経験者とのコミュニケーションであり、その場をどのように設定しいくのかが、問われている。
原発事故を含む震災経験の伝承についての現状と課題を整理した上で、最後に原爆(戦争)経験の継承論が、震災経験の伝承においてどの程度、有効性を持つのかについて検討する。特に震災経験の「何を」「どのように」伝承していくのか、「誰のための伝承なのか」を中心に議論していく。その中で震災経験は、「規範・理念的なもの」と結びついた中で、語られていくよりも、「地域的なもの」と結びついて語られやすい傾向にあるということについても触れる。
1) 佐藤翔輔(2021)「災害の記憶を伝える——東日本大震災の災害伝承」『都市問題』112, pp.73-83.
2) 『朝日新聞』福島版,2017年3月3日付。
3)
好井裕明
(2015)「被爆問題の新たな啓発の可能性をめぐって——ポスト戦後70年、「被爆の記憶」をいかに継承しうるのか」関礼子ほか編『戦争社会学』明石書店,217-237.
4) 井上義和(2021)「創作特攻文学の想像力——特攻体験者はどう描かれてきたか」蘭信三ほか編『なぜ戦争体験を継承するのか』みずぎ書林, pp.163-193.
5) 小倉康嗣(2021)「継承とはなにか——広島市立基町高校「原爆の絵」の取り組みから」同上書, pp.45-105.
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