本報告はハワイ語新聞に関する調査の4年目の研究成果として,19世紀末に日本に滞在していたハワイ先住民,デイヴィッド・ケアヴェアマヒによる旅行記の内容について予備的な分析を行う.ケアヴェアマヒはハンセン病治療のため来日し,日本人の医師である後藤昌文・昌直親子の治療を受けるために日本に滞在していた.滞在中にケアヴェアマヒが当時の日本を観察してハワイ語で記した旅行記は,複数のハワイ語新聞で「日本からの手紙」として掲載された.19世紀末に日本を訪れたハワイ先住民といえば,ハワイ王国のカラーカウア王が知られているが,ケアヴェアマヒのようないわば一般のハワイ先住民の日本滞在は論じられてこなかった.本稿ではこれまで注目されてこなかったハワイから日本への人の移動に光をあてる.
本報告はハワイ語新聞に関する調査の3年目の研究成果として, 19世紀末に日本に滞在していたハワイ先住民, デイヴィッド・ケアヴェアマヒによる旅行記を紹介する. ケアヴェアマヒによる旅行記は, ハワイ語新聞で複数の記事に分割され, 「日本からの手紙」として掲載されていた. この旅行記を分析することで, 19世紀末におけるハワイ・日本間の人の移動について, 日本からハワイへの移民と比べて, これまで注目されてこなかったハワイから日本への人の移動に関する興味深い事実が明らかになった.
ハワイ語には先住民語としては例外的に膨大な資料であるハワイ語新聞が存在する.ハワイ語新聞はこれまで主にハワイ先住民に関する研究に利用されてきた.しかし,ハワイ語新聞には先住民の言語文化以外についても多くの情報が含まれている.本稿は日本・日本人・日系人に関する研究にハワイ語新聞を用いる試みである.2014年度中に収集・翻訳した 1904年から 1946年の記事を年代別に示し,記事の中で描かれるハワイの日本人イメージを分析する.
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