本稿は、音楽における
コラ
ージュの諸相を、1970年代のマーラー解釈という側面からあぶり出し、アカデミックな領域と音楽実践領域の両者において音楽の
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ージュがどのように理解されていたのかを検討するものである。
音楽の
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ージュは20世紀後半以降の現代音楽における重要な作曲技法の一つであるが、従来の研究では、借用技法の下位概念として取り扱われ、その技法的側面のみが注目されてきた。それは、間テクスト性や記号論などといった有意義な分析方法を提示したものの、その文化・歴史的視点は見落とされている。本稿では、上記の方法論の問題を念頭におきながら、これまで音楽技法を理解するための2次文献と扱われてきた言説史料を、当時の思想を表す1次文献として取り扱い、1970年代の音楽における
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ージュ理解・受容のあり方を解明する。
1970年代の音楽学者W・デームリング 、T・クナイフ 、そして同時代の作曲家G・リゲティ のマーラー論を取り上げ、「
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ージュ」という言葉の用例を分析した結果、当時音楽の
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ージュが形式論や意味論、音楽の社会的機能といった異なる視点から多義的に論じられていたことを明らかにした。また、そのような様々な視点の背景として次の2点が解き明かされた。1)当時、
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ージュの理論化を目指した他の研究と同様に、彼らの
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ージュへの理解も、造形芸術における様々な
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ージュ論を前提にしていること、2)音楽学の領域では、
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ージュを音楽の内部構造分析または音響認識の側面に焦点が当てられた一方、音楽的実践を行なった作曲家の立場では、当時彼らを囲んでいた社会的、文化的状況から得た知見が
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ージュに組み込まれていたことである。本稿は、このような背景を明らかにすることで、音楽の
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ージュの初期受容への理解に新たな洞察ばかりでなく、1970年代の
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ージュ実践の文化的意味に関する今後の研究のための素地も提供する。
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