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クエリ検索: "サービア教徒"
7件中 1-7の結果を表示しています
  • 塩尻 和子
    宗教研究
    2014年 87 巻 Suppl 号 229-230
    発行日: 2014/03/30
    公開日: 2017/07/14
    ジャーナル フリー
  • 川崎 のぞみ
    宗教研究
    2014年 87 巻 Suppl 号 228-229
    発行日: 2014/03/30
    公開日: 2017/07/14
    ジャーナル フリー
  • オリエント
    2002年 45 巻 2 号 209-234
    発行日: 2002年
    公開日: 2010/03/12
    ジャーナル フリー
  • 十三世紀初頭のイスラーム思想における哲学的神学の一側面
    大渕 久志
    日本中東学会年報
    2018年 34 巻 1 号 1-33
    発行日: 2018/07/15
    公開日: 2019/10/01
    ジャーナル フリー
    イスラームの哲学的神学(philosophical theology)についてイブン・スィーナー(アヴィセンナ、1037年没)の影響力が一般的に強調されるが、哲学的神学形成の立役者とされるファフルッディーン・ラーズィー(1210年没)は、イブン・スィーナーおよびアブルバラカート・バグダーディー(1152年没)の哲学のみならず、占星術や魔術のようなオカルト諸学にも造詣が深かった。これまでの研究は、これらオカルト諸学が自然学系の哲学として当時見なされていたにもかかわらず、ラーズィーの神学において占めるその価値を評価してこなかった。本論文は13世紀初頭における哲学的神学の実態を明らかにする研究の一部として、オカルト諸学を含む哲学がラーズィーの神学へどのように摂取されているかを考察する。第Ⅰ節の序論に続き、第Ⅱ節において彼の神学著作を時系列に沿って精査し、彼自身がどのような思想体系を哲学と認め、実際に受容したのかを検討する。すでに知られているように、ラーズィーはシャフラスターニー(1153年没)がその代表作『諸信条と諸宗教』(al-Milal wa-l-niḥal)において
    サービア教徒
    内の分派、霊魂崇拝者のものとして記述していた宇宙論を、預言者を天使の下位に位置づける「哲学者」の教説として批判していた。霊魂崇拝者はヘルメスという神話的存在の権威を認め、占星術や宇宙霊魂を仲介とした魔術などのオカルト諸学を実践していたが、彼らの宇宙論をラーズィーが最晩年の『神学における崇高な課題』(al-Maṭālib al-‘āliya min ‘ilm al-ilāhī)では一転して自らの学説として採用している事実を筆者は新しく指摘する。第Ⅲ節では、ラーズィーが受容したところの「哲学者」すなわち霊魂崇拝者の由来を問う。近年の研究が明らかにしているように、
    サービア教徒
    と関連づけられてきたヘルメスという神話的人物が、シャフラスターニーを端緒としてイスラーム思想に積極的に取り入れられた。ラーズィーもこのアラビア・ヘルメス主義の興隆という時代に活動していた点を筆者は確認し、彼が認めた「哲学者」はこうした秘教的由来を有していることを指摘する。最後に第Ⅳ節では『神学における崇高な課題』をさらに読み、先の霊魂崇拝者の宇宙論のみならず、占星術や関連する天体魔術(‘ilm al-ṭilasmāt)などオカルト諸学の理論を神学へ受容していること、また彼がここで天体魔術師(aṣḥāb al-ṭilasmāt)を「古代の哲学者」と呼びあらわしていることを示す。ラーズィーは天体魔術師の思想を彼自身の神学へと受容した結果としてイブン・スィーナーと対照的に、流出(fayḍ)ではなく痕跡(athar)を鍵概念にする普遍霊魂論を採用し、人間のあいだの種(naw‘)を認める。霊魂崇拝者と天体魔術師はともにヘルメスの権威を認め、宇宙霊魂を仲介として地上に魔術的事象を実現することができると信じる。ラーズィーが両者を同一視していたか否かは断言できないが、彼はアヴィセンナ哲学の構造・概念をある程度保持しながらも代替となるべきものとして、オカルト諸学と通常呼ばれるような「哲学」を「神学」に統合したのである。
  • 嶋田 襄平
    オリエント
    1970年 13 巻 3-4 号 143-151,A200
    発行日: 1970年
    公開日: 2010/03/12
    ジャーナル フリー
    Circumstantial evidence is, as Dr. Soheil M. Afnan points out, in favour of Ibn al-Nadim's statement that Khalid b. Yazid b. Mu'awiya was the first to order the translation of Greek and Coptic books on medicine, astronomy and alchemy into Arabic; yet these precursory translators could not find their immediate successors. The intellectual awakening, which began with the establishment of the Abbasid dynasty and resulted in the brilliant age of translation, was a natural outcome of secretarial translations from Pahlevi under the late Umayyads. The present writer attempts to collect sporadic informations on earlier Arabic translators and on Pahlevi translation of Aristotelian logics by way of Syriac in the Sasanid period.
  • 山中 由里子
    オリエント
    1998年 41 巻 2 号 229-244
    発行日: 1998年
    公開日: 2010/03/12
    ジャーナル フリー
    In the ethico-didactic literature of the Middle East, Aristotle and Alexander frequently appear as an inseparable pair. In the Arabic adab literature, they are represented as a sort of paradigm of master philosopher and royal pupil, or the vizier and the wise king. In these works, ideals of kingship and sovereignty are expressed through the authority of Aristotle, often in the form of letters of advice addressed to Alexander. This image of the model tutor-pupil or vizier-king diffused into the more popular wisdom (hikma) literature, that is anthologies of maxims and anecdotes ascribed to sages of the past. And the Arab ethical writings in turn influenced the depiction of Aristotle and Alexander in the Persian versions of the Alexander Romance.
    In the following paper, we shall investigate the early stages of the development of this theme. First we will examine the fragments of information we have in classical sources about their relationship, notably on Aristotle's letters or counsels to Alexander. Then we shall discuss the intercultural significance of the Arabic translation and adaptation of a Greek collection of epistles, supposedly exchanged between Aristotle and Alexander, made at the time of the reign of the Umayyad Caliph Hisham (724-43) by his secretary Salim Abu al-cAlac
  • 塩尻 和子
    宗教研究
    2004年 78 巻 2 号 565-589
    発行日: 2004/09/30
    公開日: 2017/07/14
    ジャーナル フリー
    今日、イスラームに関する宗教間対話は緊急の課題であるが、効果的な対話を実施することは難しい。しかし、過去の歴史に学ぶことも重要ではないかと思われる。九世紀から一二世紀のイスラーム神学思想の文献のなかには伝統的イスラーム世界の他宗教観がみられる。本稿は、ムウタズィラ学派のアブドゥル・ジャッバールの主著『神学大全』の研究を通してあきらかになる彼のキリスト教理解を、今日の宗教間対話に役立つ資料として検討する試みである。ムウタズィラ学派は神の属性について独自の理論を展開したが、これはキリスト教の三位一体説のペルソナ理論に近いものである。彼は、三位一体説に関するカルケドン決定と当時の東方教会の立場について的確に把握して批判しており、そこから神の属性論へつながる方法論をたくみに採用している。古典文献の研究にも今日の宗教間対話や平和的共存の構築に寄与できる材料が見つかるように思われる。
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