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クエリ検索: "ジャガイモを食べる人々"
6件中 1-6の結果を表示しています
  • 李 淑珠
    美学
    2001年 52 巻 3 号 83-
    発行日: 2001/12/31
    公開日: 2017/05/22
    ジャーナル フリー
  • 瀧口修造版との比較分析
    大谷 晋平
    映像学
    2019年 101 巻 114-133
    発行日: 2019/01/25
    公開日: 2019/06/25
    ジャーナル フリー
    【要旨】
     勅使河原宏や松本俊夫ら、後に日本の「新しい波」と言われる映画人たちは、1950年代末頃から「主体」を巡って様々な映画を制作するが、本論は勅使河原の『北斎』(青年プロ、1953)を、そういった映画活動の初期作品であると位置付け、その観点から考察を試みるものである。
     勅使河原は1950年代初頭から「世紀の会」等のいくつかの芸術運動に携わり、後に映画制作で協働する安部公房や、1940年代末に「主体性論争」の中心となった「近代文学派」の人物たちとも交流を持ち、同時代に芽生えていた問題意識を共有していく。勅使河原はそういった活動をしている時に、瀧口修造が過去に制作していた映画『北斎』の仕事を引き継ぎ、自分なりの『北斎』を再制作して監督デビューした。
     そのため、本論では瀧口が残したシナリオと、勅使河原版の『北斎』とを比較し、また、絵画を「物語的」に扱う映画の先駆者であるアラン・レネらの影響も考慮しながら、勅使河原のオリジナルな演出に焦点を当てて『北斎』を「主体」との関わりから考察する。
     本論を通して、勅使河原の『北斎』は「主体」を巡る映画としてある程度の問題意識を提出できたが、問題点も孕んでいたことが明らかになる。結局、『北斎』は、日本の「新しい波」の活動が盛んになる前の1953年の作品であること、そして「主体」に関しても課題を含んでいることから、「主体」を巡る映画運動の萌芽であると位置付けられるのである。
  • 社会構成主義を基礎とするCLILの視点から
    白井 龍馬, 松岡 智恵
    美術による学び
    2024年 5 巻 1 号 1-19
    発行日: 2024/07/27
    公開日: 2024/07/29
    ジャーナル オープンアクセス
    本稿は、研究対象となった私立中学校において、普段使いの英語教材を用いて絵画鑑賞を英語で扱った授業の実践報告と、その効果を検証するものである。CLIL(Content and Language Integrated Learning: 内容言語統合型学習)のフレームワークに基づいて授業を実施し、「思索的に見る、意味を作り出していく鑑賞」を行い、考えたことや感じたことを英語で表現することを促した。生徒の自己評価とインタビュー調査の結果得られたデータを質的に分析したところ、多くの生徒がそのような姿勢で絵画鑑賞にのぞんでいたことが示唆されたが、少数ながら英語で表現することに抵抗感をおぼえる生徒もいた。
  • 三宮 一宰
    沖縄工業高等専門学校紀要
    2022年 16 巻 1-10
    発行日: 2022/08/31
    公開日: 2022/10/03
    研究報告書・技術報告書 フリー
    我々の食料確保の歴史は、初期 Homo sapiens の狩猟採集から始まった。この頃は、現在我々が享受している飽食とはほど遠かったことだろう。その後の我々の食料確保の歴史には、いくつかの大きな節目があった。農業の発明、気候災害、作物病、民主主義、市場経済、産業革命、戦争、いずれも我々の食に非常に大きな影響を与えた。我々は、歴史の中で、何度となく食料不足となり、その度に食料を確保してきた。1960 年代の「緑の 革命」は、過去最大級の技術革新であった。我々は今でも、この方法で食料を確保している。しかし現在、緑の革命の恩恵は徐々に薄れてきており、今日の世界飢餓人口は 8 億人を超える。我々は、現代の新しいリスク、人口増加・農地破壊・地球温暖化に直面している。我々にはもう一度、緑の革命が必要なのである。その試みとして、遺伝子組換えによる分子育種が早急に進められている。しかしながら、この方法では人口増加に対して全く間に合わない、と計算されてしまう。筆者は、作物にケイ酸を供給する新しい肥料により、この問題にあたることとした。
  • ―医療従事者養成校における美術教育の意義の検討―
    溝上 義則, 麻生 良太, 河野 伸子
    美術教育学研究
    2022年 54 巻 1 号 345-352
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/03/31
    ジャーナル フリー

    海外では医学教育に対話型鑑賞が用いられており,観察スキルを養うことで視診に役立つとの報告がある。本研究では,医療従事者養成校において対話型鑑賞を行い,その効果を確認するために「絵画鑑賞テスト」を実施した。その結果,介入群である作業療法学科と非介入群である理学療法学科において,介入前のベースラインでテストに書かれた文字数に有意差が認められ,各科の学習内容の違いによって文字数に差が出たものと推察された。次に,記述内容について対応分析を行ったところ介入前後で「思う」が抽出されたが,介入後は頻度が高かった。「思う」という言葉は,絵に描かれた人物の心理描写や学生自身の感じ方を言語化するために使用されており,対話型鑑賞によって観察力や想像力が高まり,絵に描かれた人物の心理や学生自身の感じ方に考えが至ったことで,共感的理解の深まりが示唆された。

  • 李 淑珠
    美学
    2003年 54 巻 1 号 27-41
    発行日: 2003/06/30
    公開日: 2017/05/22
    ジャーナル フリー
    Chin To-ha, landscape painter and known as the first Taiwanese painter selected for the Teiten (Japanese Imperial Academy of Fine Arts Exhibition) was shot dead during the "2.28 Incident" in 1947. In his work My Family, the only portrait he made of his family, a volume titled On Proletarian Painting was portrayed. This title was later erased from the catalog Exhibition of Chin To-Ha's Posthumous works under the Kuomintang's "Reign of Terror"(1949-87). One present-day introduction of Chin mentions that "the painter who adored his motherland was mercilessly betrayed." This could be read as that Chin was anti-Japanese. If so, what explanation would there be for his work Japanese Double-Bridge, which depicts the Japanese Imperial Palace? The "patriotism" of Chin is thought to have only been directed toward "continental China." If so, then Chin had no reason to depict the book On Proletarian Painting in My Family, as at that time Chiang Kai-shek and his government were indeed the representatives of the "motherland." This article examines My Family and Japanese Double-Bridge, including their years of production, and concludes that the appearance of On Proletarian Painting and the theme of the Imperial Palace are both the results of the situation at that time.
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