1.はじめに
日本におけるスキーの本格的移入は1911年のことである。当初,スキーは登山の手段やスポーツ競技として捉えられていた。しかしその後,レクリエーションとしてのスキー,いわゆるゲレンデスキーが発達し,1950年頃には本格的な
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開発が開始された。この当時は温泉地における
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開発が主体であったが,その後,農村や非居住空間へと
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開発が拡大した。
1980年代初頭から1990年代初頭にかけては,リゾート開発ブームとも連動し,
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開発は急激に大規模化した。輸送能力の高い索道が設置され,洋風レストラン・ホテルも整備された。ゲレンデでは,地形改変,人工降雪機や雪上車の導入によって快適な滑走コースがつくられた。また少積雪地域への開発もなされた。多分野からなる大都市からの資本が,こうした大量の開発に対して資本投下を行った。当時のスキー人口の急激な増加も,開発を進行させる基盤となった。
しかし,1993年頃以降,スキー人口は急激な減少を示すようになった。同時に,新規の
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開発は著しく減少し,また既存
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においても,施設の更新などがほとんど行われなくなった。さらに,
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の経営会社の倒産,それに伴う経営変更,
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自体の休業や廃業が目立ってきている。本研究では,現在の日本の
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に関するこうした諸問題について明らかにするとともに,空間的な側面から考察を加えたい。
分析に用いた資料は,国土交通省(旧運輸省)が監修する『鉄道要覧』(年刊)と,朝日新聞,日本経済新聞などの新聞記事である。さらに,業界誌なども参考にした。
2.
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開発の停滞
2003年までに,日本では約680か所の
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が開発されてきた。しかし,1994年以降に新規開発された
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数は50以下である。これは,1980年から1993年に,230か所あまりの
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が誕生した事実と対照的である。また,既存の
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においても,1994年以降,新規にスキーリフトを設置し,拡大がなされた例はほとんどない。このように,近年の日本では,
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開発の停滞が顕著にみられるのである。この傾向は,主としてスキー人口の減少に基づいていると考えられる。『レジャー白書』によると,日本のスキー人口は,1993年に約1,800万人とピークを迎えたものの,現在ではその半数程度に減少している。スキーリフトの輸送人員の推移をみても,減少が著しい。その結果,
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経営に大きな問題が生じてきた。
3.
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経営の主体変更
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経営の主体は索道事業であるが,スキー客数が減少した結果,日本のほとんどの
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では経営悪化に陥っている。バブル期の多額投資もこれに大きく影響している。こうした傾向下,1997年頃以降は,第3セクター形態の経営会社から大都市資本が撤退する例が目立っている。さらに,索道事業者の倒産もみられるようになってきた。北海道のトマム,福島県のアルツ磐梯,群馬県の川場などはその典型例である。これらの結果,索道事業者の変更が頻繁になされている。その形態はさまざまであるが,代表的なものとしては,第1に,一部の企業が問題あるスキーリゾートを複数買収し,経営する例が増えている。これには,「東急」グループ,北海道に拠点をおく「加森観光」,軽井沢に拠点のある「星野リゾート」などが該当する。第2に,外資系の投資会社による
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買収が増えつつある。第3に,
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の再生を専門に行うコンサルタントが経営に参入するようになった。第4に,
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の存続を要望する市町村や住民団体による運営も存在する。こうした
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経営の主体変更は,日本の全
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の半数程度でみられる現象である。
4.
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の閉鎖
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の経営悪化は,その休業や閉鎖にまで至る場合もあり,2007年では,その数は100か所を超えている。とくに,小規模
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の廃業が目立っている。たとえば,北海道では市町村が
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開発をする場合が多かったが,現在までに20か所近くが廃業されている。いずれの場合も,
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経営による赤字が,緊迫する市町村財政を圧迫した結果である。また,西武鉄道系の開発会社「コクド」は,これまでの経営方針の変更を余儀なくされ,2007/08シーズンには同社のグループが経営する複数の
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の廃業がすでに決まっている。
本報告では,現在の
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に関するこうした諸問題を整理するとともに,それらの地域的傾向に注目し,さらには今後の展望も含めて紹介する。
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