【目的】
人は日常生活において,常に病原性微生物やウイルスの感染といった脅威にさらされている.しかし,病原性微生物やウイルスの感染がすべて病気につながるわけではなく,免疫系という生体防御システムが異物を認識し,これを攻撃,排除している.また,免疫機能は,身体運動の影響を受けるとされ,中等度の運動は免疫機能を促進し,長時間・強度の高い運動を行った場合には,リンパ球濃度の低下,NK細胞活性の抑制,分泌型イムノグロブリンA(以下sIgA)の減少などが起こるとされている.Pedersenらは,高強度での運動で起こる免疫抑制状態(オープンウィンドウ)の時期に,ウイルスが宿主へ侵入し,感染が成立するとしている.
脊髄損傷者にとって呼吸器感染症は,生命予後に関わる重大な疾患である.しかし,障害者を対象とした運動と免疫機能に関する検討は数少なく,より重症な頚髄損傷者における調査は充分でない.障害者にスポーツを推奨する際に,安全管理の面から,運動が免疫機能に与える影響を詳細に把握しておくことは重要である.そこで,本研究は,頚髄損傷者の車いすマラソン競技が免疫機能に与える影響を調査し,スポーツの功罪を明らかにすることを目的とした.
【方法】
第25回から第28回大分国際車いすマラソン大会(2005~2008年)参加者で協力の得られた選手のうち,男性頚髄損傷者延べ33名(フルマラソン3名,
ハーフマラソン
30名,年齢35.2±9.3歳)を対象とした.
免疫機能は,唾液に含まれるsIgAを指標とした.唾液は,レース前日,直前,直後,翌日に採取用綿を1分間噛むことによって採取した.採取した唾液は,Salivary EIA Kits(SALIMETRICS),EIA sIgA TEST(MBL株式会社医学生物学研究所 )を使用してsIgA濃度(μg/ml)を測定した.同時に,レース前日,直前,直後,翌日の主観的疲労度をvisual analog scaleを用いて測定した.さらに,大会終了後に完走タイム(秒タイム)を調査した.
sIgAは各大会で使用したキットが違うこと,個人差が大きいことから,競技前日を基準として変化率を求めた.レース直前,直後,翌日のsIgAの変動は分散分析で比較し,競技成績(秒タイム)とレース直後のsIgAの関係はピアソン相関係数を用いて検定した.
【説明と同意】
本研究は,同意のための説明書を提示し,同意書へ署名を受けた者のみを対象として行った.なお,本研究に先立ち,星城大学倫理委員会の承認を得た.
【結果】
選手の主観的疲労度は,フルマラソンではレース前日から中等度以上の疲労を訴え,直前には中等度以下まで回復し,レース直後には最大値に近い疲労を訴えていた.また,フルマラソン選手は,翌日に最も低い疲労を訴えた.
ハーフマラソン
では,レース前日から直前にかけて軽い疲労を訴え,レース直後には最も強い疲労を訴えた.しかし,その疲労度の程度は,フルマラソンより低かった.また,
ハーフマラソン
選手は,レース翌日に前日よりも高い疲労を訴えていた.
sIgAの結果は,フルマラソンでは,レース直前(108.6±0.1%)から直後(109.1±3.8%),翌日(109.7±2.2%)にかけて大きな変動を認めなかった.
ハーフマラソン
のsIgAは,レース直前(118.6±70.4%)に比べ,レース直後(195.0±174.4%),翌日(203±338.8%)に上昇する傾向を示したが,有意差を認めなかった.競技成績と直後のsIgAには,有意な関係を認めなかった.
【考察】
フルマラソン選手は,レース直後に最大値に近い疲労を訴えたが,sIgAの結果は大きな変動を示さなかった.これは,フルマラソンでは免疫機能が低下しないことを示している.
ハーフマラソン
選手のsIgAは,レース後,翌日に上昇する傾向を示した.主観的疲労度の結果から,フルマラソンに比べ余力を残してレースを終えた可能性も考えられるが,頚髄損傷者にとって
ハーフマラソン
は,免疫機能をあげる運動強度であったことが示唆された.しかし,対象者の中には前日の基準値を下回る者も認められた.sIgAはばらつきが大きく,今後は,レース後の上気道感染などを注意深く観察する必要がある.
【理学療法学研究としての意義】
頚髄損傷者は,生活習慣病などの予防,持久力維持の目的で,積極的なスポーツ参加が推奨されている.今回の結果は,頚髄損傷者のスポーツ参加について,安全管理の面から有益な情報が提供できる可能性がある
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