本研究は、1918年以前の「クラクフ工房」(1913-1926年)を取り上げ、国家独立以前のポーランド地域で、ウィーンの芸術思潮を通じてヨーロッパ近代デザイン思想を受容したグループの活動を国際デザイン史上に位置づけることを目的とする。
世紀転換期クラクフの応用芸術運動は、ヨーロッパの近代様式と固有の民族様式の融合を特徴とする独自の分離派様式を生んだ。しかし、1910年代には芸術家たちの社会参加意識が高まり、1912年の〈庭園の建築とインテリア〉展の翌年、クラクフ工房が設立された。工房は合目的性と適切な素材・技術に基づく日用品生産を目指す芸術家、職人、美術関係者の団体であり、市立産業博物館と連携した生産・教育活動を通じて当地の工芸向上に着手した。「ポーランドらしさ」は強いて追求されず、また、ウィーンの「ウィーン工房」(1903-1932年)からの影響が色濃いが、規約やデザインの相違点から、クラクフ工房は自律的にヨーロッパ近代デザイン思想の実践に向かった製作集団としてデザイン史上に位置づけられる。
抄録全体を表示