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クエリ検索: "レビ記"
218件中 1-20の結果を表示しています
  • 加納 政弘
    日本の神学
    1968年 1968 巻 7 号 26-29
    発行日: 1968/09/30
    公開日: 2009/10/23
    ジャーナル フリー
  • 隅田 寛
    形態・機能
    2004年 3 巻 1 号 21-26
    発行日: 2004/10/05
    公開日: 2010/12/09
    ジャーナル フリー
  • 山口 一郎
    応用物理
    2000年 69 巻 6 号 641-647
    発行日: 2000/06/10
    公開日: 2009/02/05
    ジャーナル フリー
    光干渉計測の最近の進歩を,主として著者らの研究成果を例にとって紹介する.レーザーの波長変調による形状測定,光干渉トモグラフィー(断層構造の解析),半導体レーザーの戻り光による干渉縞の安定化,ホログラムのテ
    レビ記
    録と計算機再生(デジタルホログラフィー)について墓本原理と実験結果を述べる.
  • 水島 久光
    マス・コミュニケーション研究
    2006年 69 巻 133-135
    発行日: 2006/07/31
    公開日: 2017/10/06
    ジャーナル フリー
  • ツァラアト/レプラ、聖性と穢れ
    上村 静
    宗教研究
    2022年 96 巻 2 号 29-53
    発行日: 2022/09/30
    公開日: 2022/12/30
    ジャーナル フリー

    福音書のイエスはしばしば病人と接触しており、その中には当時のユダヤ社会において「穢れ」とされたツァラアト/レプラの人も含まれていた。本稿では、彼らとの接触を切り口に、イエスが「穢れ」と「聖性」についてどのような態度をとったのかを考察する。

    ヘブライ語聖書において、「聖性」は神の属性であり、それゆえユダヤ人は「聖なる民族」として「穢れ」を避け、「浄い」状態で生きることが求められた。ツァラアトの人は「穢れたもの」の象徴とされ、その病は神罰と解されていた。イエスは「穢れ」の問題を無視してツァラアト/レプラの人と接触した。イエスにとって神は「いのちを生かすはたらき」なのであり、律法規定が「いのちを殺すこと」になるならば、「穢れ」も「聖性」も無視すべき観念なのである。

  • 山我 哲雄
    宗教研究
    2016年 90 巻 2 号 183-207
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/09/15
    ジャーナル フリー

    ユダヤ教の食物規定(カシュルート)は、主として(1)血の摂取、(2)肉類と乳製品の混合、(3)ブタなどの「穢れた」とされる動物の肉の禁忌を三本の柱とする。個々の禁忌の由来や理由には不明な点が多いが、旧約聖書では、いずれも問答無用の神の絶対的な命令と理解されている。旧約聖書の食物規定がほぼ今の形に体系化されたのは、いわゆるバビロン捕囚時代(前六世紀)であるが、このことは、国と土地を失って異民族、異文化の中で生きることを余儀なくされたユダヤ人捕囚民の状況と関連があろう。圧倒的優位にある周囲の異民族、異文化、異宗教に同化、吸収されないようにするために、彼らは食という、生活の最も基本的な要素を手掛かりとした。周囲と同じものを同じように食べないという生活様式を確立することによって、捕囚のユダヤ人たちは、自分たちの信仰と民族的同一性(アイデンティティ)を維持したのである。

  • 中村 生雄
    宗教哲学研究
    2003年 20 巻 84-92
    発行日: 2003年
    公開日: 2019/03/21
    ジャーナル フリー
  • 隈崎 渡
    法制史研究
    1957年 1957 巻 7 号 261-262
    発行日: 1957/03/30
    公開日: 2009/11/16
    ジャーナル フリー
  • 樋口 進
    夙川学院短期大学教育実践研究紀要
    2019年 2019 巻 13 号 3-8
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/10/04
    研究報告書・技術報告書 オープンアクセス
     夙川学院に短期大学が設置されたのは、1965 (昭和40)年1月25日であり、同年4月20日に開学式を挙行して、教育が開始された。このとき、短大の教育理念は特には定められなかったが、戦後夙川学院が教育理念とした「キリスト教精神」は前提であったようである。しかし、礼拝とかキリスト教の授業科目を配置するということはなかった。ただ、入学式や卒業式が礼拝形式で行われ、またクリスマス行事などもあり、ここにわずかに「キリスト教精神」が生きていたと言うことができる。『九十年史』には、二代目学長の高木俊蔵の文として次のように記されている。「夙川学院は古くから宗教的情操教育を重視し、短大も創設以来この伝統を守ってきた1。」そして、短大の「教育理念」としては、1980 (昭和55)年に次のように定められた。すなわち、「愛と誠実」「清新な学識」「清楚にして優雅」である。これは、短期大学 教授の増谷くらの提案をもとにして専門委員会、教授会で検討したものということである2。『百年史』には、次のようにある3。「第一項では女性といわず、人間として基本的に求められる項目が述べられ、第二項では、教養豊かにして、専門とする学識に秀で、技能に熟達した女性が、社会の発展に寄与することを願い、短期大学が教授するものは、諸学•技術の基礎から、現代におけるその展開•応用に至ることを示唆している。そして学生が、自発的に研鑽し、探究心 を深めてくれるように願っているのである。第三項では、本学の学生が歴史と伝統に育まれた夙川学院の構成員としての自覚と誇りを持って、しかも学生らしく清楚であって、言動優雅であることを希求しているのである。」この中で、第一項の「愛と誠実」に関しては、夙川学院が戦後教育理念としたキリスト教思想を反映したものと思われる。イエス•キリストは、最も重要なこととして、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」ということと、「隣人を自分のように愛しなさい」ということを教えた(マタイによる福音書22:37-39、マルコによる福音書12:29-31)。また、イエス•キリストは、「正義、慈悲、誠実を最も重要なこととして行うべきだ」と教えている(マタイによる福音書23:23)。以下、聖書において「愛」と「誠実」がどのように言われているかについて検討したい。
  • 『ミシュナ』トホロート巻を中心に
    勝又 悦子
    宗教研究
    2022年 96 巻 2 号 79-102
    発行日: 2022/09/30
    公開日: 2022/12/30
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は、ユダヤ教の「接触」を制約する「穢れ」の概念を現在のユダヤ教の基盤となっている『ミシュナ』(紀元後二〇〇頃成立)のトホロートの巻を中心に行う。これまでの研究史の問題点を指摘したうえで、モノの「穢れ」に注目する。その結果、モノの「穢れ」についての規定は、一、ユダヤ教生活の全て―衣食住―を網羅していること、二、ハラハー(法律議論)では、「穢れ」と道徳的「罪」を連想させることはないこと、三、モノの穢れにあたっては、物理的な意味だけではなく用途、目的といった意味での輪郭が明瞭であることの徴でもあることが指摘される。こうした点は、ラビたちが、表面、輪郭について非常に敏感であったこと、「接触」はクリアな表面、輪郭を持つモノの間でなされることという意識があったと考えられる。

  • 山吉 智久
    宗教研究
    2021年 95 巻 2 号 145-170
    発行日: 2021/09/30
    公開日: 2021/12/30
    ジャーナル フリー

    旧約聖書において、疫病は自然現象としてではなく、専ら神ヤハウェと結び付けられて、神から人間や動物にもたらされるものとして描かれている。神の力の表れとしての疫病は、古代イスラエルの人々にとって災いの中で最も深刻な出来事の一つであり、戦争、飢饉と並んで、災いの典型と見なされるようになる。ヤハウェを唯一の神とする一神教の展開に伴って、災いとしての疫病も、それを被った人間自身が犯した罪の結果として捉えられるようになった。それは専ら、神ヤハウェの律法を忠実に守らなかったことに対する処罰とされた。それと同時に、この因果応報が持つ根本的な問題についても、旧約聖書は無自覚ではなかった。疫病がわれわれ人間の限界を思い知らせる存在であり続ける中で、疫病の蔓延によって社会的な弱者がより苦しめられるのは無視すべからざる現実である。この社会的な不平等は、それを生み出している人間自身の力で解決されなければならない。

  • 赤井 節
    法制史研究
    1955年 1955 巻 5 号 32-78,en2
    発行日: 1955/06/05
    公開日: 2009/11/16
    ジャーナル フリー
    The Old Testament, and the Pentateuch in particular, is generally recognized as the sole extant record that casts light on the ancient Hebrew law. And it is also generally known that the Petateuch is a compound of many records, which date back to various different periods in the Hebrew history.
    This is an attempt to clarify from various angles the lex talionis, generally known in the formula "an eye for an eye and a tooth for a tooth, " and to criticize the work of Professor D. Daube. The Old Testament, mainly the Pentateuch, was used as the basis of my study. In the Pentateuch, lex talionis is mentioned in Exodus, Deuteronomium and Leviticus. These records will be examined from a philological viewpoint and a casuistic viewpoint and also from the standpoint of the writers who penned these records. The significance of these three records is varied and the description in each of them has a different shade of meaning. In the conclusion of my study, I have tried to clarify the way of thinking that underlies the idea of lex talionis. In this part of my study, the Old Testament as a whole was discussed mainly from the philological point of view.
    It is needless to say that excellent researches of D. Daube, D. H. Muller, S. A. Cook and other outstanding scholars have given me a great aid to my study. In Japan, however, there are hardly any researches in this field, which are based on the original Hebrew text of the Old Testament (Biblia Hebraica). I hope, therefore, my study will be of some value to the scholars of legal history.
  • 森口 眞衣
    宗教研究
    2013年 86 巻 4 号 959-960
    発行日: 2013/03/30
    公開日: 2017/07/14
    ジャーナル フリー
  • 虫賀 幹華
    宗教研究
    2013年 86 巻 4 号 958-959
    発行日: 2013/03/30
    公開日: 2017/07/14
    ジャーナル フリー
  • 川元 俊二, 稲田 一雄, 金丸 隆幸, 永尾 修二, 落合 亮二, 内田 清久, 中里 貴浩, 海江田 令次
    日本輸血細胞治療学会誌
    2008年 54 巻 1 号 31-37
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/12/19
    ジャーナル フリー
    (背景)輸血を受け入れないエホバの証人の患者に対する治療の対応や指針が検討され,現在に至っている.(目的)患者の意思決定を尊重する原則に立って治療を推進していく上で,インフォームドコンセント(IC)の方法とそれを実践する為に必要な他科との医療連携について検討する.(対象と方法)過去十年間にエホバの証人の患者113名(小児3名),128例におこなったICの方法と他科との医療連携の内容を示した.ICの方法は同種輸血拒否と受け入れ可能な代替療法の許容範囲の確認,無輸血治療に伴う合併症の内容の理解と同意であった.医療連携には麻酔科医,放射線科医,消化器内視鏡医との連携が含まれた.(結果と成績)ICの過程で医療者側が治療適応外と認めた症例は無かった.治療症例は110名,125症例で手術治療107例,放射線学的観血治療10例,内視鏡的治療4例,放射線照射化学療法17例をおこなった.緊急手術および治療は15例だった.患者全員が同種血輸血の受け入れを拒否する意思を示したが,4名を除く106名が代替療法として閉鎖回路で連結された希釈式自己血および回収式自己血輸血や血液分画の投与を受け入れた.自己血輸血を29例(23%)に施行し,術中術後の管理を通して,患者の意思により術前に代替治療の適用を定めた許容範囲を超えた症例は無く,無輸血治療が本来の治療の根治性を阻害することはなかった.また手術在院死亡や重篤な合併症の併発を認めなかった.(結論)ICの徹底と院内医療連携による無輸血治療の実践によって個々の患者に対する適切な医療環境と治療成績を提供できた.
  • 化学と生物
    1989年 27 巻 11 号 741-743
    発行日: 1989/11/25
    公開日: 2009/05/25
    ジャーナル フリー
  • 現場と研究を架橋する方法論として
    塩田 幸司
    放送研究と調査
    2018年 68 巻 5 号 74-81
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/20
    研究報告書・技術報告書 フリー
    放送番組を分析するために様々な方法が試みられてきたが、それぞれ一長一短があり、方法論の模索は続いている。そうした中で、多面的な放送テクストを分析する補助線のひとつとして「レトリック」の可能性を検討した。レトリックは、表現・伝達の方法論としてギリシャ時代から研究され、隠喩や対比、反復などの古典レトリックの体系は、ヨーロッパの中等教育にも取り入れられてきた。19世紀にはいったん滅びた形になったが、20世紀後半にはレトリックが人々の認識のありかたに深く関わっていることが注目され復活した。テレビのレトリック分析は2000年代に盛んになった記号論分析やカルチュラル・スタディーズなどに包含された形になっているが、レトリックは弁論術や表現のための実学として発展したため放送現場の制作者にもわかりやすく、暗黙知的な現場の方法を把握するのに役立つことが期待される。一方、記号論や認識論の研究ともつながる広がりがあることから放送現場とアカデミズムを橋渡しする共通の土台になりうる。特に映像表現の世界では、レトリックが文法の役割を果たしており、暗喩や換喩などのレトリックに注目して番組の分析を進めることが出来る。アーカイブスによって個別番組の分析の環境が整いつつある中で、分析の補助線のひとつとしてレトリックの可能性を拓くことは重要である。
  • 三笠宮 崇仁
    オリエント
    1964年 7 巻 2 号 32
    発行日: 1964/10/30
    公開日: 2010/03/12
    ジャーナル フリー
  • 角田信三郎氏の論評とのかかわりにおいて
    川島 貞雄
    日本の神学
    1990年 1990 巻 29 号 229-234
    発行日: 1990/09/17
    公開日: 2009/10/23
    ジャーナル フリー
  • 岡島 直方
    ランドスケープ研究
    2017年 80 巻 5 号 453-458
    発行日: 2017/03/31
    公開日: 2017/09/13
    ジャーナル フリー

    Sakuteiki is Japan’s oldest treatise on creating a garden. The Old Testament is an important scripture for followers of Judaism, Christianity, and Islam. Both books deal with the concept that stones have a significant influence on people. This i s why these books contain “prohibitions.” This study examines how prohibited stone settings are described in these books. The concept of “basic pattern,” which is the key idea of this study, is introduced. The basic pattern is rhetorical: the censorious words “do not do this” appear first, followed by a description of the negative consequences if the prohibition is not heeded. The sentences that display this pattern and their related expressions are all extracted and listed in a table. In this experiment, the Japanese Old Testament was used, and the following results were revealed. Sakuteiki used a caption meaning “prohibition,” which indicated that the following sentences depicted the prohibited ways of setting stones. Under this caption, the basic pattern was develo ped through several variations, but they did not describe actual misfortunes that had happened. On the other hand, The Old Testament displays the following rhetorical pattern: the prohibited ways of setting stones are depicted in several ways, using the basic pattern, before the old Israelites see the actual stones. This is described as a prophecy. Then, historical writings are presented, attesting to the authenticity of the prophecy, and the basic pattern is precisely executed, showing the benefits of strictly observing the prohibition.

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