本稿の目的は、ユダヤ教の「接触」を制約する「穢れ」の概念を現在のユダヤ教の基盤となっている『ミシュナ』(紀元後二〇〇頃成立)のトホロートの巻を中心に行う。これまでの研究史の問題点を指摘したうえで、モノの「穢れ」に注目する。その結果、モノの「穢れ」についての規定は、一、ユダヤ教生活の全て―衣食住―を網羅していること、二、ハラハー(法律議論)では、「穢れ」と道徳的「罪」を連想させることはないこと、三、モノの穢れにあたっては、物理的な意味だけではなく用途、目的といった意味での輪郭が明瞭であることの徴でもあることが指摘される。こうした点は、ラビたちが、表面、輪郭について非常に敏感であったこと、「接触」はクリアな表面、輪郭を持つモノの間でなされることという意識があったと考えられる。