集団の形成と, その中での個人の位置づけに果たす記憶, 歴史, 神話の役割は広く社会学的な主題として認められるようになった.しかし, 多文化, 多民族化が進む現代社会においては, 集合的記憶の形成の比較社会学的な研究も必要であろう.
本論では, フランスで民俗精神療法にあたっているT.ナタンの臨床活動を整理し, 神話的な素材の扱いが西洋型社会の精神療法での個人の歴史的な素材の扱いとどのような構造的差異を持つのかを検討した.まず, 民俗精神療法的な記憶の特性を, 集団の中での絶えざる実践においてのみ維持され, 再創造されていく生成的記憶として説明した.
ここでは集団成員の精神的障害の治療は, 社会全体の神話の再創造によって行われる.他方, 精神分析的な観点では, 主体はこのような生成的な記憶の場としての≪他者≫からの切断によって構造化されている.この切断を補完するために, 主体はその記憶の生成的な運動を, 個人神話の生成を反復することにより, 主体の行為自身を歴史の記録の場とすることで維持している.
このように構造的な分析を行うことで, 両者が精神療法的な治療の実践からなる主体性の装置のトポロジーの, 歴史的・環境的な差異に応じた変容であることが明確にされる.このことで, さまざまな誤解や摩擦をもたらしている異文化の精神療法的実践に対する理解を深めることが可能になると思われる.
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