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クエリ検索: "全州大学校"
13件中 1-13の結果を表示しています
  • 宋 基正, 宮崎 清, 朴 燦一
    デザイン学研究
    2011年 57 巻 5 号 37-46
    発行日: 2011/01/31
    公開日: 2017/06/24
    ジャーナル フリー
    本小論では、全羅北道淳昌郡において2005年から展開されている地域革新体制(RIS:Regional Innovation System)に関する現地調査に基づき、当該地域の伝統的生活文化を活かした内発的地域振興計画の特質を考察したものである。伝統的な醤類づくりを基底に据えた淳昌における地域づくりは、以下の特質を有している。1)淳昌では、当該地域の自然・風土のなかで育まれてきた韓民族の伝統食文化である醤類産業を淳昌のアイデンティティーととらえ、その生活文化の産業化を通した地域振興が展開されている。2)核家族化の進行につれてかつての醤類の自給自足形態が脆弱化したことにより、住民-自治体-中央政府の連携的事業展開がなされてきた淳昌の伝統的醤類産業は、今日では韓国における不動の醤類産業としての地位を淳昌にもたらしている。3)淳昌における醤類産業を基底に据えた地域振興が今後とも持続的に展開・進展していくためには、醤類づくりの原材料生産を協働して実施する地域住民の意思と実践、ならびに、その協働を基点として形成される人びとの醤類に対する価値認識の共有化が不可欠である。
  • 今井 智子, 相澤 勝治, 朱 美賢, 飯田 薫子, 村井 文江, 河野 一郎, 今川 重彦, 目崎 登
    体力科学
    2009年 58 巻 2 号 239-246
    発行日: 2009/04/01
    公開日: 2009/06/16
    ジャーナル フリー
    【Objective】The purpose of this study was to investigate the acute responses of adiponectin and leptin to resistance exercise in healthy elderly men. 【Methods】Eight healthy men (age, 25.5±3.3 yrs) participated in this study. They performed two trials. Trial 1 was an exercise session consisting of 5 resistance exercises at high-intensity (75% one-repetition maximum : 1 RM) with three sets of 10 repetitions. Trial 2 was a control trial at rest for the same time as trial 1. Blood samples were taken to assess adiponectin, leptin, and metabolism related substances (glucose and lipids).【Results】Leptin significantly decreased 24 h after the resistance exercise but did not change in trial 2. Blood insulin and lactate concentrations significantly increased immediately (0 min) and 30 min after the exercise. However, adiponectin, glucose and lipids were not affected.
    【Conclusion】Adiponectin was not affected by resistance exercise, whereas leptin decreased 24 h after the exercise. This suggests that leptin may have quite a delayed response to high-intensity resistance exercise.
  • ―非党派性の制度化と選挙管理委員会―
    磯崎 典世, 大西 裕
    年報政治学
    2011年 62 巻 2 号 2_178-2_205
    発行日: 2011年
    公開日: 2016/02/24
    ジャーナル フリー
      Under what conditions do the congress members revise the election-related law that might influence their own positions? This paper examined such a general question through the comparison between the fundamental change of party organization such as the abolition of local branch in South Korea in 2004 and its failure in 2000. This paper discovered the following points. First, the electoral system to which parliament member is punished easily by the voters must exist. Second, incumbent members' agreement to law revision depends on what frame interpreting the social phenomenon is offered to the voters. In our case, what made the incumbent members who persisted in their partisan policy package accept non-partisan policy package was the successful presentation by the election administration committee as an independent actor to the voters of the frame which locates the abolition of local branch in non-partisan policy package. However now, such a model is tested only in the cases where many of voters are low in the party identity, and have distrust in the party like South Korea. This model can be applied also in other cases, but the elaboration of the applicable condition is future tasks.
  • 成 周昊, 金 憲秀
    保険学雑誌
    2018年 2018 巻 642 号 642_137-642_150
    発行日: 2018/09/30
    公開日: 2020/03/26
    ジャーナル フリー

    韓国の深刻な高齢化問題は韓国保険学会の持続可能性の脅威となっている状況である。本論文では,韓国保険学会における高齢化問題を考察し,これを解消するための基本戦略および主要政策を紹介する。韓国保険学会は,①未来における保険学者の養成②研究の質的水準の向上③国際交流の拡大④保険関連学会の連携強化および産学との連携拡充などを学会の存続および発展戦略として採択し,あらゆる支援事業を実施している。また,諸外国との連携を通じて,保険関連学会との学術交流を活性化し,countryriskを分散させることを中長期戦略として設定する必要がある。これは韓国保険学会と日本保険学会が共に直面している高齢化問題の効果的な対処策になると思われる。

  • 後藤 直
    第四紀研究
    1994年 33 巻 5 号 285-302
    発行日: 1994/12/31
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    朝鮮半島の原始農耕は, 近年の集落遺跡発掘調査と栽培穀物遺体発見例の増加によって, 耕地・耕作具など不明の部分もあるが, その輪郭が明らかになりつつある. 畑作農耕は, 中国東北地方新石器時代の畑作農耕の伝播により, 有文土器時代中頃 (紀元前4,000~3,000年) に始まったと推定される. 次の無文土器時代 (紀元前1,000年) に農耕社会が形成され, この時代には水稲農耕が始まった. 暖かさの指数の等値線分布と畑作・水稲耕作の分布はほぼ対応し, 漢江流域より北では畑作が主で, 水稲耕作はほとんど行われなかった. 漢江流域以南では畑作とともに水稲耕作が行われ, 水稲耕作は南ほど盛んであった.
    農耕集落遺跡の立地は5つにわけられる. (1) 山間部の河川中・上流部の河川沿い, 曲流部, 合流部の河岸段丘などは, 漁撈・狩猟・採集にも適し, 小集落, 支石墓が点在するが, 狭隘なため耕地の拡大と農耕社会の発展には限度がある. 水稲への依存度も低い. (2) 河川中流から下流の平野部の河岸段丘や中洲と, (3) 小平野や谷底平野に面する低丘陵に立地する集落は, 畑作農耕・水稲農耕いずれの場合も耕地の拡大が可能であり, 農耕社会発展の中心であった. ここに支石墓のほか, 地域的・政治的統合を示す青銅器副葬墓が多い. (4) 山頂に立地する遺跡は少なく, 何らかの事情による特殊例であろう. (5) 海岸部には農耕をほとんど行わない漁撈民の遺跡も立地する. かれらは, とくに南海岸では海上交易の担い手として, 内陸部の農耕集落と結びついていた.
  • 李 尚珍
    山梨英和大学紀要
    2010年 9 巻 A53-A68
    発行日: 2010年
    公開日: 2020/07/20
    ジャーナル フリー
    今日の日韓両国の文化交流は多様化・多元化し、活発に行われているが、「過去と現在」「政治と文化」「歴史問題」、どのキーワードを切り取ってみてもそこには「曖昧さ」がある。そこで、本稿では、日韓相互理解の現状分析を通して、その問題点を明確にし、日韓相互理解における実践的かつ効果的なモデルとして、1914年から1930年までの17年間を韓国で暮らした浅川巧の「異文化理解モデル」を提示した。特に、日韓両国の大学生たちに浅川巧の「異文化理解モデル」を示すことによって、相互に対する関心が高まり、自ら実践可能なモデルを見出していく様子がうかがえた。そして、「誤解」と「無知・無関心」から「関心」と「尊重」へと未来志向的な姿勢をも見出すことができた。さらに、これから日韓両国で共有できる「相互理解モデル」としての有効性を明確にした。
  • 崔 文正
    日本文学
    2001年 50 巻 7 号 40-51
    発行日: 2001/07/10
    公開日: 2017/08/01
    ジャーナル フリー
    日韓両国の軍記物語の叙述内容は、当時の政治動向と密接していて、それぞれの軍記物語の諸本に当時の政治の動きを主導していった政治・宗教・思想が投影されている。そのような面で日韓軍記成立の第一の原動力は、戦乱に対しての為政者側の主張であると判断される。
  • 体力科学
    2010年 59 巻 6 号 711-719
    発行日: 2010年
    公開日: 2011/01/12
    ジャーナル フリー
  • 全 泓奎, 稲本 悦三, 金 善美, 南 垣碩, 趙 鼎九, 金 倫伊, 丁 恩一, 金 種漢
    住宅総合研究財団研究論文集
    2008年 34 巻 243-254
    発行日: 2008年
    公開日: 2018/01/31
    ジャーナル オープンアクセス
    本研究は,社会的な不利地域における居住支援と地域再生モデルを探るために実施した.ここで取り上げたチョッパン地域には,生活が脆弱な中高齢男性や障がいを持つ単身生活者が多く居住しており,韓国では代表的な社会的不利地域の一つである。調査の結果,第一に同地域では民間のきめ細かな対応が有効に働いている点,第二に地域改善に向けた制度的なバリアを解決する必要がある点,第三に同地域が脱野宿など社会的な居住機能を果たしており,地域で住み続けることを望んでいる人々が多く居住している点,第四にチョッパンの経営者及び管理者も地域の肯定的な機能を評価しており地域環境改善への参加意志を示している点がわかった。
  • 〓石墓
    千葉 基次
    日本考古学
    2002年 9 巻 13 号 67-92
    発行日: 2002/05/20
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    朝鮮・韓半島における支石墓研究は鳥居龍蔵氏に始まる。そして,藤田亮策氏も支石墓研究に足跡を残す。鳥居・藤田両氏によって見分けられた卓子形支石墓と碁盤形支石墓の分類は,単なる外見の姿形と読むか,構造に基づく分類と読むか判断に難しい。結果として,多くの研究者は,構造に基づく分類と読み,一系一統論として「何れが古い形態か」の論議を繰り返してきた。
    一方で,有光教一,石光濬,甲元眞之氏等は,沈村型支石墓と呼ぶ第三の形態を原形と認め,一系多統論として「最も古い形態は何か」の設問設定から,ある時期に枝分かれがあり,卓子形支石墓・五徳型支石墓が作られ始めたと論じた。「最も古い形態」の支石墓は何か,どのような「作り方・作られ方」かの設問設定は考古学研究法として正しい。しかし,石氏は半島南部地域の支石墓には触れず,甲元氏の沈村型支石墓と南方式支石墓の関係説明は,現状の資料からみて説得力に乏しい。
    南方式支石墓は,野石で大きな上石を受けるのであり,本文は「〓石墓」の名称を用い,上石の受け方を分類基準とすると「不特定多数で上石を受ける」形と「特定数で上石を受ける」形の2種類があり,従来の「支石の無い支石墓」と「支石の有る支石墓」に対応する。卓子形支石墓研究に続き支石墓研究再検討の一環として,この分類基準から〓石墓はどのような「作り方・作られ方」であり,「最も古い形態は何か」,そして「最も新しい形態は何」に展開したかを述べてた。
    「最も古い形態は」何か。それは,中華人民共和国遼寧省遼東半島地域で作られた積石墓系統の墓が,朝鮮・韓半島に伝えられた時,地表付近に作る個々の長方形の墓室に塊石・板石で蓋を設けた形と考える。遼寧式銅剣が半島内に多数発見される所以でもある。江原道春城郡泉田里のA・B号積石塚は半島に伝えられた例であろう。〓石墓の最も古い形態は,不特定多数で上石を受ける形と考える。
    この時代にも半島内は,数は不明だが幾つかの地域文化があると考えるのであり,〓石墓もその地域文化に対応する可能性がある。沈村型支石墓は西部地域に作られた〓石墓であり,先ずはその地域内での変遷を考えるのが良いと言える。〓石墓は,紀元前7世紀頃には既に半島内に築かれ,紀元前5世紀頃に細形銅剣が形を整えると,墓も類似の形があると共に違う形も生まれ,半島内が新しい時代を迎えたと考えるのである。
  • 田中 俊光
    法制史研究
    2016年 65 巻 79-111,en6
    発行日: 2016/03/30
    公開日: 2022/03/05
    ジャーナル フリー

     本稿は、朝鮮時代(一三九二~一九一〇)のうち、甲午改革(一八九四)以前を対象として、刑事法史の主要な研究について整理紹介し、現状の課題を提示するとともに、今後の可能性について展望するものである。まず、朝鮮時代の刑事法史研究の現在に至るまでの流れについて、一九世紀から植民地期を経て、解放後の大韓民国における成果をたどりながら、その特徴を概観した。第二に、朝鮮の法制定における中国法の位置付けに対する研究の現在点について、朝鮮が明律を受容した姿勢との関係から説明し、それを踏まえて第三に、明律とは異なる朝鮮独自の刑罰法が形成された事例として、盗罪に対する処罰と、私的復讐における減死を挙げた。第四に、刑事裁判に関係するいくつかの司法機関の成立過程と役割について述べ、第五に、訴冤、行刑および保放・赦を含めた刑事裁判手続の具体的内容について、刑曹の主導する一般的な断獄手続と、義禁府が国王の指示を受けて主宰する手続に区分して説明した。最後に、朝鮮刑事法史の課題と可能性について、地方の刑事裁判や軍人の犯罪に関する刑事裁判の実態解明の必要性、朝鮮刑事法史における時代区分の問題、そして刑事法にとどまらず、これまで蓄積された朝鮮法史の研究成果を世界中の研究者に発信する標準的入門書の必要性を提示した。

  • 体力科学
    2012年 61 巻 6 号 684-710
    発行日: 2012年
    公開日: 2012/12/28
    ジャーナル フリー
  • 体力科学
    2011年 60 巻 6 号 773-817
    発行日: 2011年
    公開日: 2012/01/11
    ジャーナル フリー
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