The purpose of this study was to develop a viable electrophoretic experiment method suitable for teaching students in lower secondary school science classes. We developed a method to measure the electrophoretic migration distance of both hydrogen and hydroxide ions. By using this method, we examined various experiment conditions and then developed an experiment kit that would operate successfully within these conditions. We then tried the kit in several authentic teaching scenarios and concluded that; a) The kit is safe and easy to use and b) It was expected that the kit and its associated teaching materials are suitable for teaching students in lower secondary school science classes.
本論文は,現在の北海道新聞社の前身である北海タイムス社が発行した『北海タイムス』に掲載された記事に基づき,大正13年(1924)における同社による自由画教育に関する取り組みを明らかにするものである。同社で美術部員であった澤枝重雄は,大正10年から紙上で小学生の自由画を募り,講評の言葉を添えて掲載した。大正12年までその作品の数は多くはなかったが,大正13年になると,「タイムスエディション」という家庭に向けた欄に,道内各地の小学生による約40点の自由画が,同じく小学生による童謡や作文とともに掲載された。そこには時折,絵を描く子どもを撮影した写真が掲載された。同年7月,澤枝を中心として同社が2年ぶりに主催した自由画展覧会では,「第三回」と名称に初めて回数が冠せられた。学校や企業等の主催による自由画展覧会の紹介や,自由画教育に関する見解の掲載も引き続き行われた。
本論文は,現在の北海道新聞社の前身である北海タイムス社が発行した『北海タイムス』に掲載される記事に基づき,大正10年(1921)における同社による自由画教育に関する取り組みを明らかにするものである。北海タイムス社で美術部員であった澤枝重雄は,大正10年のはじめ頃に紙上で「自由画私見」を発表し,7月から紙上で児童自由画の講評を行うことをはじめ,11月に同社がはじめて主催した児童自由画展覧会においては,札幌の小学校教員とともに講演を行い,展示作品の講評を行うなど,中心的な役割を担った。大正10年に紙上に掲載される図画教育に関する一連の記事からは,当時,澤枝が図画教育に対する小学校教員の意識に働きかけることを重視し,札幌の小学校教員との関わりのなかで,指導者としての立場で発言していたこと,また,当時,札幌の小学校教育現場において,自由画教育に対する関心が高まっていたことが確認される。
本論文は,現在の北海道新聞社の前身である北海タイムス社が発行した『北海タイムス』に掲載された記事に基づき,大正12年(1923)における同社による自由画教育に関する取り組みを明らかにするものである。同社で美術部員であった澤枝重雄が大正10年から始めた「自由画批評」はこの年一度のみの掲載となり,同社本社主催による自由画展覧会は行われなかったが,過去二年の『北海タイムス』とは異なり,この年の紙上には道外の企業による自由画展覧会の開催広告や自由画募集広告が多く掲載された。9月の関東大震災以降,しばらくの間紙面から図画教育に関する記事は姿を消すが,それまで,同社は企業主催の自由画展覧会を写真付きで紹介したり,企業による自由画募集事業に賛同の意を表しながらそれを宣伝したり,東京美術学校校長正木直彦による子どもの創作に関する見解を掲載したりするなど,図画教育分野の情報を発信し続けた。
本会記事
すでにアカウントをお持ちの場合 サインインはこちら