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クエリ検索: "台江県"
18件中 1-18の結果を表示しています
  • エスニック観光のもとで
    佐藤 若菜
    日本文化人類学会研究大会発表要旨集
    2012年 2012 巻 F10
    発行日: 2012年
    公開日: 2012/03/28
    会議録・要旨集 フリー
    エスニック観光のもと、貴州省東南部のミャオ族の服飾はミャオ族文化のキーマーカーとして、統一したミャオ族イメージを形成してきた。その服飾が「商品」となり、観光スポットに社会経済的影響をもたらしたが、周辺の村落では、他民族をも巻き込んだミャオ族服飾の製作が行なわれている。そこでは、服飾製作をめぐる新たな文化実践を通して、これまでにはなかった民族関係が生み出され、特定の技法が民族を超えて拡大している。
  • 阿部 健一
    東南アジア研究
    1991年 29 巻 1 号 105-106
    発行日: 1991/06/30
    公開日: 2018/02/28
    ジャーナル フリー
  • 長谷 千代子
    宗教と社会
    2013年 19 巻 219-
    発行日: 2013/06/15
    公開日: 2017/07/18
    ジャーナル フリー
  • 貴州省施洞鎮におけるゴウホ儀礼を中心として
    *曹 紅宇
    日本文化人類学会研究大会発表要旨集
    2020年 2020 巻
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/09/12
    会議録・要旨集 フリー
    本報告は、中国南西部に位置する貴州省黔東南州苗族トン族自治州施洞鎮地域において、かつて経験したことのない新たな「近代的な」社会状況に対して、現地の人々がいかなる行為を行っているかということに対する考察である。これは苗族全体を代表するものであるとは言えないが、ある「無文字社会」が、急速な社会変化に直面した際に行われた事例として、つまりローカルな「リスク」論として再考することが可能であると考える。
  • 中国貴州省東南部のミャオ族と漢族の村の事例から
    佐藤 若菜
    アジア民族文化研究
    2021年 20 巻 1-17
    発行日: 2021/03/31
    公開日: 2024/05/01
    研究報告書・技術報告書 フリー

     ミャオ族と漢族が暮らす中国貴州省東南部清水江流域にある調査村(S村)において、筆者は「(漢族から)ミャオ族になった」、「(ミャオ族から)漢族になった」という語りを耳にした。はたして「ミャオ族になる」「漢族になる」とはどういった事態を指し、なぜ彼らは「民族」を変更することを選択したのだろうか。本稿では、2009年3月から2011年5月までに貴州省黔東南ミャオ族・トン族自治州施秉県南部で実施した調査をもとにこれらの点を考察した。

     結論では、「ミャオ族になる」「漢族になる」という営みには、単に言語や身なり、生活様式の変更にはとどまらない内実があることを指摘した。具体的には、変更した民族の婚姻ネットワークに参入することで次世代の配偶者を確保したり、儀礼のやり方を変えることでそこに参加する人々を確保していたのである。

  • ー貴州省を中心にー
    王 粲, 大友 邦子
    芸術工学会誌
    2022年 85 巻 54-55
    発行日: 2022/11/08
    公開日: 2022/11/21
    ジャーナル フリー
  • 田中 淡, 周 達生, 宮本 長二郎, 上野 邦一, 浅川 滋男, 郭 湖生, 楊 昌鳴
    住宅総合研究財団研究年報
    1990年 16 巻 223-239
    発行日: 1990年
    公開日: 2018/05/01
    ジャーナル オープンアクセス
     東アジアから東南アジアにかけて集中的に分布する高床住居は,主として近年の発掘成果により,新石器時代の華南にその起源を求められつつある。そして,最近の研究によれば,先奏時代の華南に蟠踞した百越という1群の南方系諸民族が,初期における高床住居の担い手であった。本研究の対象となる貴州のトン族は,この百越の一地方集団であった駱越の末裔と考えられている。たしかにトン族は,雲南のタイ族や海南島のリー族とともに,高床住居を保有する代表的な民族であるが,これまでその高床住居に関する研究はほとんどされていない。したがって,百越の末裔たるトン族の高床住居を研究対象にすること自体に大きな意味があるといえるだろう。しかし,問題はそれだけではない。調査対象地である黔東南苗族とう族自治州には,トン族以外にもミャオ族,プイ族,スイ族,漢族など多数の民族が居住しているからだ。われわれの研究がめざすもう1つの目標は,このような多民族地域における文化の重層性と固有性を,住居という物質文化を媒介にして解明することである。これは,文化人類学における「文化の受容とエスニシティの維持」というテーマに直結する,重要な問題といえるだろう。今年度の調査は,次年度以降,継続的になされるであろう集中的な調査の予備的役割を担うものであり,自治州を広域的に踏査し,できうるかぎり多くの家屋を観察・実測することに主眼をおいた。その結果,トン族,ミヤオ族,プイ族,漢族の家屋を,合わせて50棟実測することができた。本稿では,以上の諸例を民族別・類型別に報告するとともに,民族相互の比較から,平面と架構について,トン族本来の形式と漢文化受容以後の形式の差異を論じ,また住居に現れた「漢化」の諸側面についても指摘している。来年度以隆は,調査対象を1か所に限定し,住み込みによる集中的な調査を行なう予想である。
  • 佐藤 若菜
    文化人類学
    2014年 79 巻 3 号 305-327
    発行日: 2014/12/31
    公開日: 2017/04/03
    ジャーナル フリー
    本稿は父系親族組織を特徴とする中国貴州省のミャオ族を事例に、その民族衣装を介して形成される母娘関係について検討する。特に衣装の製作・所有・譲渡の様態と、婚礼後に見られる実家・婚家間での女性の移動パターンが、1990年頃を境に大きく変化した点に着目する。清水昭俊は、親子の身体的・霊的要素の連続性からかつての接触や融合を想起することで繋がれる両者の関係を、呪術的な性格をもつ「共感的な」関係と表現した。これに対し本稿では、現地の社会経済的な変化とともに生起した母と娘との関係を明らかにすることで、この関係もまた衣装を介して「共感的」に築かれたことを指摘する。1980年代までミャオ族の女性は婚礼を挙げると一旦実家に戻り、数年滞在してから婚家での生活を始めていた。新婦は実家での滞在を終え、婚家へと移動する際に衣装を持参していたのである。しかし1990年代以降、この実家での滞在期間は数日間に縮小され、新婦は早々と婚家での生活を始めるか、夫とともに出稼ぎに出るようになった。その一方で、衣装を婚家へ持参する時期は、その後の第2子出産か実母の死去まで延期されるようになったのである。これにより娘が実家を離れてもなお、衣装を介した母娘関係は持続するようになった。以上の事例から、衣装がつなぐ母娘間の「共感的」関係は、身体的・霊的要素によって内在的に親子の間に存在したのではなく、むしろ現地の社会経済的な動態を背景に築かれたことを示す。すなわち、衣装の価値の高まりと、実母が娘の衣装を製作するというサイクルの普及、および婚姻の変化によって、衣装は既婚女性の(実家ないし婚家への)帰属に働きかけるものとなった。これにより、母親が娘のために製作した衣装をめぐって母娘間に新たな所有の関係が生まれ、そこに娘の婚家への移動過程の変化を反映した意味づけがなされたことにより、1990年代以降、衣装を介した母娘の「共感的」関係が動態的に生起したことを指摘する。
  • 曽 士才
    民族學研究
    2001年 66 巻 1 号 87-105
    発行日: 2001/06/30
    公開日: 2018/03/27
    ジャーナル フリー
    1980年代中頃から中国では国家が少数民族の生活や文化を資源とする民族観光をおこし, 辺境の少数民族地域における貧困救済と地域振興を図ろうとした。同時に, 国家は観光現象を通して国民形成の促進をもくろむようになった。観光事業が国家主導のもとで始まった中国では, 民族観光における事業発展のプランナーとして, また民族文化の審判者として国家が最も大きな役割を果たすことは否定できない。しかし, 民族観光の創出にあたっては, 地方の民族エリートが自民族への思いや郷土意識を観光プランニングに生かしていることにもっと注目する必要がある。観光を通して地方が中央に対して, いわば下からの民族主張を行う構図が浮かび上がってくる。一方, 辺境における民族観光の現場では, 地元民は伝統に忠実であるよりも観光客の興味を引くべく, 伝統にはない創意工夫を旺盛に行っており, 場合によっては文化の流用も見られる。観光客はこうしたことには頓着せず, むしろ知名度の高い演技であれば, それで十分に満足している。ミドルマンである旅游局や旅行社は観光文化の真正性を問題にし, 観光客と地元民との間に介入し, 観光の主導権を握ろうとする。観光の現場で表象される「民族文化」の所有権は担い手である地元民にあるのか, それとも文化的価値の審判者たるミドルマンにあるのだろうか。
  • 佐藤 若菜
    東南アジア研究
    2013年 50 巻 2 号 322-325
    発行日: 2013/01/31
    公開日: 2017/10/31
    ジャーナル フリー
  • 佐野 賢治
    宗教研究
    2013年 87 巻 2 号 469-474
    発行日: 2013/09/30
    公開日: 2017/07/14
    ジャーナル フリー
  • ─ミャオ族・トン族・ブイ族・チワン族・ヤオ族の集落における実地調査に基づいて
    曽和 英子, 曽和 具之
    デザイン学研究
    2013年 60 巻 4 号 4_51-4_60
    発行日: 2013/11/30
    公開日: 2014/01/25
    ジャーナル フリー
    雲貴高原は、中国「民族街道」と言われ、その多様な気候や地形において、様々な民族の多様な民族文化が展開されている。その中には、黄河中流域から移住したミャオ族など稲作諸民族も含まれている。
    本研究は、ミャオ族、トン族、ブイ族、チワン族、ヤオ族など稲作諸民族の集落における現地調査を通して、それぞれ民族の染めの伝承およびその地域特性を明らかにした。その結果、以下のことが明らかになった。(1)水資源が豊富な平地においては、黒染め、重ね染め、亮布づくりが盛んに行われている。一方で、水資源の乏しい山岳地域では、蝋纈染めが伝承されている。(2)トン族、ブイ族、チワン族は平地に多く分布し、古くから様々な染めの文化を形成してきた。ミャオ族は山岳部に多く分布し、上記の民族の染めの文化を吸収し、多様な地域性を生み出した。
  • 地理学評論 Ser. A
    1986年 59 巻 1 号 51-53,59
    発行日: 1986/01/01
    公開日: 2008/12/25
    ジャーナル フリー
  • 森 鹿三
    人文地理
    1958年 10 巻 1 号 37-50
    発行日: 1958/04/30
    公開日: 2009/04/28
    ジャーナル フリー
  • アジア・アフリカ地域研究
    2013年 12 巻 2 号 282-295
    発行日: 2013/03/31
    公開日: 2018/12/05
    ジャーナル フリー

    速水洋子・西 真如・木村周平編.『人間圏の再構築-熱帯社会の潜在力』(講座生存基盤論3)京都大学学術出版会, 2012年, 385p.

    加藤 敦典

     

    黄 蘊.『東南アジアの華人教団と扶鸞信仰―徳教の展開とネットワーク化』風響社,2011年,350p.

    北澤 直宏

     

    須永和博.『エコツーリズムの民族誌-北タイ山地民カレンの生活世界』春風社,2012年, 435 p.

    田崎 郁子

     

    鈴木正崇.『ミャオ族の歴史と文化の動態-中国南部山地民の想像力の変容』風響社, 2012年, 560 p.

    宮脇 千絵

  • 今里 悟之
    地理学評論 Ser. A
    2001年 74 巻 7 号 394-414
    発行日: 2001/07/01
    公開日: 2008/12/25
    ジャーナル フリー
    本稿では,中国四川省成都市近郊の一村落を対象に,解放前から現在における各時期の社会空間体系の変遷,村境(村落領塚)の画定状況,景観変遷の実態とその規定主体・要因を明らかにした.当該地域の基礎社会は,解放前は院子,集団化期は生産隊,改革開放後は生産隊を継承した村民小組であった.散居の基礎単位でもあった院子は,実質的には同族的な小村であった.成都盆地の社会空間体系は歴史的に流動性が特徴であるが,基礎社会レベルでは主に微地形がその境界基準となり,村境は集団化の過程で属人的要素を基礎として画定された.また,景観変化の規定要因は,国家の政治体制変化,区や鎮の政策,人口増加と経済水準上昇であり,景観維持の規定要因は,微地形と民俗思想(風水思想)の存続である.
  • 百田 弥栄子
    民族學研究
    1981年 46 巻 2 号 189-207
    発行日: 1981/09/30
    公開日: 2018/03/27
    ジャーナル フリー
  • 田中 耕司
    東南アジア研究
    1991年 29 巻 3 号 306-382
    発行日: 1991/12/31
    公開日: 2018/02/28
    ジャーナル フリー
    This report aims at clarifying the characteristics of rice culture conventionally and traditionally practiced in the Southeast Asian (SEA) archipelago and reconsidering the genealogy of rice culture from the viewpoint of historical development and distribution of farming practices and rice-growing techniques specific to the rice culture in the archipelago.
     In Chapter 1, based on the regional variation in farming practices and rice-growing techniques, Asian rice culture is typologically classified into three major types, namely, the Indian type, the Chinese type, and the Malayan type. Most typical sequence of the practices and techniques for each type can be summarized as follows. (1)For the Indian type, a sequence consisting of land preparation with a plow and a harrow drawn by two cattle; broadcasting in dry fields; intertillage and weeding with a harrow; harvesting with a sickle having a long, crooked, serrated blade; and threshing by beating bundles of rice or by cattle-trampling. (2) For the Chinese type, land prepartation with a plow and a harrow drawn by one cattle; transplanting seedlings; manual weeding with various tools; harvesting with a sickle having a crescent-shaped blade; and threshing by beating. And (3) for the Malayan type, land preparation by various methods like puddling with an oar-shaped spade, cattle- trampling and human-foot-trampling, and a non-tillage method by which grasses are just cut with a long scythe-like tool; various methods of sowing or transplanting like dibbling with a stick, transplanting by punching holes with a short stick, and broadcasting in wet fields; manual weeding; harvesting panicles with a reaping knife; and threshing by foot-trampling or by pounding in a mortar. Based on the comparison of these ...
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