本稿では,萬三商店の醤油醸造経営を,商品販売活動を中心に検討した。その結果,1890年代から1900年代の店員井本利吉在籍時代,関西から関東まで幅広く,販売商品を使い分けつつ販路を開拓したことがわかった。そしてこの時期に開拓した地域の中から,後に愛知県内から岐阜県にかけての近隣地域と,滋賀県大津に重点販売地域が絞られていく。前者へは主に溜を,後者へは普通醤油を販売した。萬三は大津には特約店を置き,関西の拠点とした。これは,市場規模の大きい大都市圏を睨みつつ「すき間」を見つけようとする戦略が結実したものであった。このような営業活動を通じ,醤油醸造業は萬三商店の安定,発展にとって重要な位置を占めるに至ったのである。萬三商店のこういった販路開拓の動きは,後発産地の醤油醸造業者として試行錯誤と暗中模索の中で活路を切り拓いていく様子を体現したものと一般化できよう。また「川上」(集荷)よりも「川下」(販売)に力を入れる戦略は,同時期の大阪府貝塚の穀肥商廣海家などとは対照的であり,この点は製造業者の側面を持つ商人としての特色が表れたものと理解できる。
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