本論では,一般には世親は『唯識二十論』において,外界非実在論としての
唯心論
を確立したと考えられていることに対して,実は,世親は意識していなかったかも知れないが,初期の世親の著作である『倶舎論』において,
唯心論
を確立する思想的根拠が理論的に完成していたということを論証する.世親の『唯識二十論』の極微論批判における唯識無境の論証は,空間における極微の分析を徹底することによるが,極微を無限に小さく分けていくと,ある時点から個々に見えなくなるが,それは,認識できないから極微の存在はわれわれにとって保証されないが,必ずしも,極微がないとは言えなくて,どこまでも分析されるものとして存在し続けるとも言える.これは,空間的分析による
唯心論
の時間的限界を示している.さて,これに対して,既に『倶舎論』においては,「根品」の四相の中の老相の実在性の否定の論証のところと,「業品」の徹底的な刹那滅論の論証のところにおいて,
唯心論
を確立する思想的基盤が見られる.まず,「根品」の老相の否定によって,ものはある瞬間と次の瞬間との間で,変化するということは厳密には認められず,全く同一であるか,全く別異であると考えられる.ここで,論理的必然的に,同一であると考える場合でも,前後のものの間に,前のもの・後のものという属性の違いがあるから,前のものと後のものが全くちがうことが帰結する.さらに,「業品」では,刹那滅論が経量部的に徹底され,生じる瞬間と滅する瞬間が同一であるとされる.そうなると,ものは一瞬も存在すると言うことができず,空間的分析を待たずに,時間空間を超越する.よって,
唯心論
が確立される.最後に,以上の
唯心論
が,浄土教的な思想の理論的背景になりうることを註記して,結びとする.
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