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クエリ検索: "増上寺徳川将軍墓とその遺品・遺体"
15件中 1-15の結果を表示しています
  • 金澤 英作, 中山 光子, 茂原 信生, 藤田 尚, 小山田 常一, 北川 賀一, 真鍋 義孝, 大野 粛英
    Anthropological Science (Japanese Series)
    2013年 121 巻 1 号 49-55
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/06/21
    ジャーナル フリー
  • 北條 暉幸
    バイオメディカル・ファジィ・システム学会誌
    2005年 7 巻 1 号 1-5
    発行日: 2005/10/20
    公開日: 2017/09/04
    ジャーナル オープンアクセス
    日本人肩甲骨の計測学的研究結果に基づき徳川将軍集団とアイヌ集団の肩甲骨について主成分分析を行い、おおまかにタイプ分類し、徳川将軍集団と江戸時代などの庶民集団との差を検討した。計測項目は、肩甲骨の形態長(幅)と棘上窩幅(前後幅)で、前者は肩幅、後者は肩の筋肉の盛り上がりを表し、さらに徳川将軍集団と同時代江戸時代庶民の肩甲骨の高さ(背筋が弱いと低い可能性)を比較した。縄文時代集団は最も肩幅が広いが、肩の前後幅は比較的狭く(胸郭が薄い)、筋肉質であり(タイプI)、徳川将軍集団は、肩幅が狭くなで肩、肩甲骨は後代に高くなるが江戸時代庶民より低く、筋肉が最も弱いタイプIV、室町時代集団はがっちりした肩、筋肉も強く、いかり肩のタイプII、江戸時代集団はこの集団に近くタイプIIIである。現代人集団もやや弱い傾向のタイプIIIを示した。室町、江戸両時代集団は特異な徳川将軍集団より頑丈な形状であり、アイヌ集団は比較的がっちりしたタイプIを示し、以上4タイプの大まか分類、肩甲骨のライフスタイルの変化への適応も論じられた。
  • 木村 賛, 高橋 昌子
    人類學雜誌
    1972年 80 巻 2 号 151-158
    発行日: 1972年
    公開日: 2008/02/26
    ジャーナル フリー
    The site of Sengen-zinzya-nisigawa-yokoana consisted of eight yokoana Kofuns, or horizontal cave tombs, and was situated in Kanagawa Prefecture, Japan, in lat.35°30′50″N. and long. 139°27′24″E., discovered from Oct.8th to 14th, 1969. The excavation was done by Mr. K. WATANABE of Yamato High School, Mr.I. VVATANABE of Oobirin University and other members and by us. According to Mr. I. WATANABE, the age of these tombs is from later half of 8th century A.D. to the early time of gth century.
    16adults(8males, 3 females and 5 indeterminables), 5 children and 2 infants, 23 bodies in total, were discovered. No old man can be seen in the specimens, as far as the age is able to be determined. All the bodies not disturbed were buried in extended position and land on their back. Eleven adults(8 males and 3 females)Were able to be measured. The measurements were done after MARTIN (1928)except the prominence index of nasal root(50:F)in the skull after SUZUKI(1969), and they are shown in Appendix with the MARTIN's number.The face is broad, with the broad nose, the flat nasal root and long palate as other skeletons from Kofun. The frequencies of dental caries of permanent teeth is as much as 3.8%(9carious teeth in 237).The long bones are relatively long as other Kofun man compared with Japanese in other ages, especially long in the females. The inferior facet of tibia exists in all the six individuals which are able to be examined.
  • 藤田 尚, 平野 浩彦
    老年歯科医学
    1999年 13 巻 3 号 175-182
    発行日: 1999/03/31
    公開日: 2014/02/26
    ジャーナル フリー
    江戸時代の古人骨99個体を資料とし, 壮年者と高齢者の齲蝕の病態にどのような相違があるかを検討した。その結果, 江戸時代においては, 高齢者全体の齲歯率18.8%は壮年者全体の齲歯率7.0%よりも有意に高いこと (P<0.001) 。ほとんど全ての歯種で, 高齢者の齲歯率が壮年者よりも高い傾向があること。前歯部の齲蝕は壮年者にはほとんどみられないが, 高齢者では一定の割合で認められること。壮年者と高齢者の齲歯率の相違の程度は, 下顎歯よりも上顎歯でより顕著であること。齲蝕発症部位として, 高齢者では歯頸部齲蝕・根面齲蝕が全体の66.4%を占あ, 歯頸部齲蝕・根面齲蝕は加齢とともにその割合が増加する一方, 咬合面齲蝕は壮年者よりも減少すること。縄文時代人に多く見られた頬側面齲蝕の減少は, 江戸時代には歯磨きの習慣が広まっており, 歯磨きによって頬側面の衛生がある程度保たれたと考えられること。高齢者では上顎歯の喪失歯率が下顎歯の喪失歯率よりも有意に高く, 歯周疾患がその原因として考えられること, などが確かめられた。
    高齢社会にあたって, 高齢者の齲蝕病態の歴史的変遷を把握することは, 将来の口腔衛生の指針作りや予防歯科学の領域においても有益と思われるので報告する。
  • 土肥 直美
    人類學雜誌
    1991年 99 巻 4 号 437-462
    発行日: 1991年
    公開日: 2008/02/26
    ジャーナル フリー
    金関家骨格資料について,形態学的調査を行なった。次に,骨形態に表れる遺伝的効果と環境効果の関係を知るために,他の家系および非血縁者集団とともに多変量解析法を用いて分析した。その結果,遺伝的効果はこれまであまり研究されていなかった四肢長骨においても,特にその骨端部にかなり強く表れることが明らかになった。環境効果は社会的階級および時代の差として検出され,それぞれ主として骨の太さと長さに関係していた。社会的階級の差による環境効果は前腕と下腿に強く表れており,労働の量等に関連すると考えられた。時代の差は下肢骨に強く表れる傾向が認められ,食性や衛生環境等の生活条件と関連すると考えられた。
  • 筑前秋月城下の事例から
    時津 裕子
    日本考古学
    2000年 7 巻 9 号 97-122
    発行日: 2000/05/15
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    本論の目的は近世の秋月城下における墓石の様相に示される階層性について明らかにし,それを通じて墳墓研究一般に寄与することである。徳川家や大名家墓所,民衆の共同墓地など数々の調査例から,近世墓は階層性を反映すると理解されている。しかし階層性の中にはこれまで着目されてきた社会制度上の上下関係のほかに財力,権威,社会的尊敬度など複数のベクトルが含まれている。その中で墳墓に反映されやすいベクトルや強調されるベクトルは一定しているのであろうか。それとも時代や建立者の立場,状況に応じて変化するのか。さらに階層性の各ベクトルと墳墓の諸属性との対応関係など,未解明な点は多い。加えてこれまで1つの藩のような階層化社会全体を対象に研究がなされたことはなかった。
    本論では秋月藩を事例として詳細な検討を行った。城下の寺院墓地に所在する墓石,近世の文献,城下の地図を用いた。はじめに形態やサイズ等に代表される墓石自体の属性に基づいて,家々の墓域を単位として被葬者の階層を考古学的に推定し,その後文献記録と照応することで考古学的推定の妥当性を検討すると共に総合的な考察を行った。
    墓石の様相には,秋月藩の定める格式や石高など社会システム上の序列が原則的に反映されていた。墳墓に表れた階層構造は秋月城下の空間構成など他の物質文化の様相と連動していることわかり,考古学的推定の妥当性が検証された。墓石1個体内の属性レベルでみれば,形態・サイズ以外の属性では制度上の序列のほかに,個人の社会的貢献度や尊敬度等が加味される可能性が示唆された。形態・サイズという階層差を反映しやすい属性についても,高いものと低いものが1つの墓石にミックスされ,上下関係がやや不明確になるケースが見受けられた。このように複数の属性を組み合わせた墳墓という物質文化の戦略的使用を通して,当時の人々が複雑な社会のあり方に対応していた可能性が指摘できる。
  • (3)発掘人骨(歴史時代•時代不明)
    池田 次郎
    人類學雜誌
    1982年 90 巻 1 号 79-82
    発行日: 1982年
    公開日: 2008/02/26
    ジャーナル フリー
  • 米元 史織
    Anthropological Science (Japanese Series)
    2012年 120 巻 1 号 15-46
    発行日: 2012年
    公開日: 2012/08/22
    [早期公開] 公開日: 2012/08/04
    ジャーナル フリー
    筋骨格ストレスマーカー(MSMs)を用いて,先史・古代人の日常的な活動を古人骨から推察するという研究は数多く行われている。しかし,その一方でMSMsの有効性そのものを疑う研究も提出されている。そこで,本稿ではMSMsから活動の復元を行うことの有効性を検討した。対象資料は考古学・文献記録・民俗調査から漁撈活動を行っていたと想定される吉母浜中世人骨と,埋葬様式より身分の推定が可能な江戸市中出土人骨,及びその比較資料として久世家などの出自の特定が可能な江戸時代人骨,合わせて313体を用いた。上肢(鎖骨・上腕骨・橈骨・尺骨)および下肢(大腿骨・脛骨)に付着する筋・靭帯・腱付着部29部位を対象とし,それぞれの発達度をスコアによって評価した。まず,吉母浜中世人骨では先行研究で指摘されている「肋鎖靭帯のスコアが顕著に高く,次いで大胸筋や三角筋のスコアが高い」という漁撈的特徴を示すことを確認した。次に江戸時代人骨の各埋葬様式群のMSMsの類似性や,男女差の検討を行った。これらの分析の結果,武士階層とされる埋葬様式の被葬者のMSMsは互いに類似し,庶民層とではMSMsのスコアの発達度が異なる傾向をみせることが確認された。具体的には,武士層とされる埋葬様式群では,下肢8部位のMSMsの発達度に類似性がみられ,その特徴は,剣術・弓術・馬術などの武芸や立ち居振る舞いなどの所作によって形成されうるものであると考えられた。本研究の結果は,MSMs分析が生活様式を復元する有力な方法の1つとなる可能性を示唆するものである。
  • 中橋 孝博
    人類學雜誌
    1987年 95 巻 1 号 89-106
    発行日: 1987/01/15
    公開日: 2008/02/26
    ジャーナル フリー
    福岡市の天福寺遺跡から,ほぼ江戸時代後期に所属する人骨,約200体が出土した。その特徴として,かなり顕著な長頭性,大きく高い顔面部,あるいは現代人より強い鼻根部の彎曲や歯槽性突顎,等の傾向が認められた。推定身長は男性159.4cm,女性146.5cmで,中世人や他の近世人とは大差ないが,当地方の弥生や古墳人に較べると明らかに低い。全体的に,桑島や粒江より,これまで都市部で出土した江戸時代人に比較的近い形質を示すが,長頭性という点には当地方の現代人にもつながる地域性が認められる。また,中世以降の時代変化の中で一部の形質に不連続な変化も認められ,そうした特徴の由来についていわゆる「都市化現象」や「貴族化」との関連を検討した。
  • 辰巳 晃司, 奈良 貴史
    Anthropological Science (Japanese Series)
    2021年 129 巻 2 号 53-74
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/12/27
    [早期公開] 公開日: 2021/11/16
    ジャーナル フリー

    本研究では,2017年に東京都港区湖雲寺跡遺跡から出土した幕府旗本永井家の歴代当主・正室の頭骨に貴族的特徴が認められるか,形態学的に検討した。貴族的特徴は江戸時代の身分制社会の頂点に位置する徳川将軍家や大名家の頭骨にみられる,極端に幅狭い顔面部,高く大きな眼窩,狭く高い鼻根部,華奢な下顎,微かな歯冠咬耗など,庶民とは異なる特有の特徴を表す。永井家の人骨は,当主10体・正室7体を含む約200年の系譜にわたる,これまで報告例のなかった旗本家の貴重な家系人骨資料である。本研究の結果,旗本永井家には当主・正室ともに貴族的特徴の傾向が認められ,当主は大名に近く,正室は将軍正室と大名正室に近い傾向がみられた。ただし,当主の下顎は庶民に近い頑丈性がみられ,貴族的特徴も世代を経るごとに強くなる傾向はみられなかった。また,顔面頭蓋形態と武家階層の高低との関連を調べた結果,特に男性において明瞭な対応関係が認められ,武家の家格や石高が高いほど典型的な貴族的特徴を呈し,低いほど庶民的特徴に近付くという階層性が示された。永井家に貴族的特徴が認められる要因としては,元々大名を出自とし,旗本の中でも7000石という高い階層にあることが考えられる。永井家当主の歯の咬耗は軽微であることから,下顎が頑丈な要因については,今後食生活以外の可能性も検討する必要がある。

  • 長岡 朋人, 平田 和明
    Anthropological Science (Japanese Series)
    2003年 111 巻 2 号 143-154
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/03/31
    ジャーナル フリー
    本研究では, 江戸時代人の歯冠サイズの地理的変異を調査した。資料は, 東北地方, 関東地方, 近畿地方, 九州地方から出土した江戸時代人骨の永久歯歯冠である。すべて成人男性である。分析は, 一元配置の分散分析, 偏差折線, ペンローズのサイズ距離を用いた。その結果, いずれの分析でも地理的変異の存在が示唆された。近畿地方の江戸時代人は歯冠サイズがもっとも大きかったが, 東北地方の江戸時代人は歯冠サイズがもっとも小さく, 両地方の集団は対照的であった。九州地方と関東地方の集団は, 近畿地方と東北地方の集団の中間サイズであった。近畿地方の集団は大きな歯を持つ渡来人に近く, 東北地方の集団は小さな歯を持つ縄文時代人に近い。今回の結果は, 江戸時代人の歯冠サイズの地理的変異と渡来人の流入との関連性を示唆し, 興味深い。
  • 長岡 朋人, 熊倉 博雄
    Anthropological Science (Japanese Series)
    2001年 109 巻 2 号 85-100
    発行日: 2001年
    公開日: 2008/02/26
    ジャーナル フリー
    大阪市の旧吉原墓地から出土した近世人骨の計測的研究を行った。吉原人は, 中世と現代の近畿地方人の移行的特徴を示す。また, 他地域の近世人と比べより短頭であるという地域的特徴を持つ。短頭性の要因は十分分かっていないが, 主成分分析を行った結果, 近畿地方人の成立過程には弥生時代の渡米人の流入と中世以後の都市化が強く関わっているのが示唆された。
  • 長岡 朋人, 嶋谷 和彦, 安部 みき子, 平田 和明, 熊倉 博雄
    Anthropological Science (Japanese Series)
    2009年 117 巻 2 号 89-97
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/25
    ジャーナル フリー
    古人骨の形態学的研究は,当時の人々の姿かたちを明らかにし,日本人の身体形質の時代的な移り変わりや地域間変異を理解する手がかりになる。特に,近畿地方における古人骨の形態学的特徴の解明は,日本人形成史の研究に不可欠である。それは,近畿地方が日本人の地域差研究の鍵を握るからである。例えば,現代日本人の生体計測値や頭蓋計測値において,近畿地方の人々は短頭で,比上肢長・比下肢長が小さく,日本列島の他地域の人々と異なる形態的特徴を持つ。しかし,近畿地方では古人骨資料の出土例や報告がきわめて少なく,近世やそれ以前における地域間変異を実証した研究は皆無に等しい。本研究の目的は,まず,大阪府堺市から出土した近世人頭蓋の計測を行い,近畿地方の近世人頭蓋の計測的特徴を明らかにすることと,次に,近世における頭蓋形態の地域間変異を検討することである。資料は,堺市の堺環濠都市遺跡から出土した32体,向泉寺跡遺跡から出土した2体の成人男性の頭蓋である。本研究の結果,堺近世人は関東地方や北部九州・山口地方の近世人よりも短頭傾向が強かった。また,顔面が狭く,頭蓋全体の高さが高い傾向があり,現代人的な特徴を示した。今回の結果から,近畿地方の近世人頭蓋は他地域とは異なる形態的特徴を持っていたと推測される。
  • 梶ヶ山 真里, 溝口 優司
    Anthropological Science (Japanese Series)
    2004年 112 巻 1 号 37-57
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/14
    ジャーナル フリー
    東京都内とその近郊にある江戸時代遺跡19遺跡からわずかずつ出土した頭蓋・四肢骨の計測値を,将来の比較研究の材料として,まとめて提供する。江戸御府内の遺跡から出土した頭蓋の計測値のみを仮集計した結果,その混合標本は比較した他の御府内出土江戸時代人標本とはあまり似ていなかったが,男女ともに,頬弓幅が非常に狭い,という特徴を持っていた。男性の頬弓幅は牧野家藩主の平均値に最も近く,女性は北陸現代人や徳川将軍正室・側室の平均値に非常に近い値をとる。これは,今回報告した資料の中に富裕階層の人骨が比較的多く含まれていることを示唆するものかもしれない。さらに,マハラノビスの D2距離によれば,全体としては男性混合標本は東北地方現代人に,女性混合標本は中国地方現代人に最もよく似ていた。江戸時代人骨に見られる大きな変異の原因や現代日本人の形成過程を明らかにするには,今後も引き続き,人骨と環境要因に関する遺跡別のデータ収集が必要である。
  • 関根 達人, 澁谷 悠子
    日本考古学
    2007年 14 巻 24 号 21-39
    発行日: 2007/10/10
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    これまで江戸時代の人口は,主として人別帳などの文書史料に基づき研究されてきた。しかし人別帳や宗門改帳は残存する数が限られており,過去帳は一般に閲覧が困難である。そうした点に鑑み,本論では近世墓標研究の方向性の一つとして歴史人口学を指向し,その可能性を追求した。
    弘前市新寺町寺院街の墓標を調査・検討した結果,墓標は一般に,ある人物の没後17回忌までの間に建てられ,その際には既に亡くなっている人の分も併せて戒名などを刻むことがわかった。一方,これまで墓標の造立年に代わるものとして用いられてきた最新年号に関しては,4基に1基程度,造立年から20年以上の時間差があるものが存在することも判明した。
    津軽地方の墓標と過去帳に関して,10年単位と1年単位で,被供養者数の増減を検討した結果,墓標と過去帳の連動性が確かめられた。さらに,墓標に刻まれた被供養者数の増加時期には,「生者の記録」である宗門人別帳で総戸数・総人数が減少・横ばいになっていることから,負の相関関係が確認できた。以上のことから,歴史人口資料としての近世墓標の有効性を証明できた。また,檀那寺をもつ人が死後墓標に名を刻まれる割合は,弘前城下町とその周辺において,18世紀代には2ないし3人に1人ほどであり,1830年代頃には当地域の檀那寺を有する人の大部分が墓標を建てるようになったと推察した。
    北海道・九州・四国地方を除く各地の墓標調査事例について,墓標数の増減を10年単位で検討したところ,いくつかのパターンが抽出された。奈良や京都などの畿内では,18世紀前半代には早くも墓標数が急増している。それに対し東日本では,18世紀末から19世紀代に墓標造立数がピークを迎える。東日本の中でも東北地方と関東・北陸・東海地方とでは,やや異なるパターンを示すが,この差異は基本的に墓標が普及する時期のズレと飢饉による人口変動の違いに起因すると考えられる。今後,九州・四国・中国地方の事例を追加検討することにより,墓標が普及する過程や,ある程度墓標が普及した後の飢饉や疫病による人的被害をも明らかにできるだろう。
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