未曽有の災害2011年3月の東日本大震災・大津波は人々に大きな衝撃を与え、世界中から救援、復旧のために多くの援助と励ましをいただき、被災地では復興と防災対策に取り組み2年余を経過した。災害時に特別な援護を必要とする障害者、特に重症心身障害児(者)が受けた被害状況とその救援と支援対応について具体的に検証し、今後の災害対策に役立てることが喫緊の課題である。本シンポジウムは、発災当初の現場の状況と対応および今後の対策・とるべき具体的な備え等について、医療、教育、福祉、行政等の現場・地域で支援活動に尽力された5名の当事者によって各々の専門職の視点から発表していただき、課題と解決策を関係各位と共に協議し、災害弱者への有効な支援策を共有することを目標して企画された。東日本大震災の情報は、岩手、宮城、福島の3県が主たる被災地として集約されているが、全国集計(2013年4月10日警察庁発表)では死者15,883人、行方不明者2,681人であり、要援護者である福祉サービス利用者の死亡・行方不明者は54人(2012年10月現在)であった。注目すべきことは、障がいのある人が災害時の被害者になる割合が高かったことである。東北3県の沿岸31自治体の調査では被害者数の割合が一般人0.8%に対して障害者手帳所持者は1.5%で約2倍であった。(2012年9月24日付、河北新報)これらの報道や調査公表に含まれない被害者も多数あったと推測されるが、自力ないし家族の支援のみで避難ができない高齢者、障害者を災害時に支援する「要援護者避難支援計画」について東北3県の沿岸37自治体を対象とした調査(2013年4月、共同通信社)では、計画を策定していた24自治体のうち10自治体が「実際には役立たなかった」と回答しているので、災害弱者への災害避難対策は住み慣れた地域での生命保護と生活維持に実効性のある組織体制の整備が必要である。シンポジウムでは、前半に福島整肢療護園・吉原診療部長は東日本大震災・津波発災時の医療施設の緊急対応、特に原発事故による患者・利用者の避難移動とその後の実情と課題を提示し、
宮城県立拓桃支援学校
(前石巻支援学校)・櫻田校長は支援学校現場での緊急対応の実情とその後の避難活動の経験を通して、学校教育の視点から防災対策を提言する。後半は、社会福祉法人りとるらいふ・片桐理事長は中越沖地震の被災支援の経験を踏まえて、東日本大震災直後から障害者入所施設での支援のニーズを組織的に救援した経過を報告するとともに、災害時のコーディネート機能の重要性を述べ、東北大学小児科(前宮城県拓桃医療療育センター小児科医療部長)・田中准教授は発災直後から被災地の障害児者、施設、支援者等と連携し、切迫する現場のニーズに応え活動した経験を基に実効ある支援体制と具体的な支援内容を提示し、福井県総合福祉相談所(前厚生労働省障害福祉課障害児支援専門官)・光真坊判定課長は発災当時、厚生労働省の障害児支援専門官として業務し、被災地の障がいのある人々および障害福祉サービス事業所の被害状況の把握、支援体制の整備、福祉サービスの提供等に関わった経験から当面の課題と今後の被災者支援体制のあり方を提言する。重症心身障害児(者)の災害時の救護と支援について、関係各位と共に課題を検討し、不測の事態においてもすみやかに対応できる地域の体制づくりと身近な備えを共有する機会となることを強く願う。
略歴 伊東宗行(1937年12月30日生)社会福祉法人新生会みちのく療育園 施設長 1962年 岩手医科大学医学部卒業 1963年 岩手医科大学小児科 1965年 釜石市民病院小児科 1967年 岩手医科大学小児科 1983年 国立療養所釜石病院 院長 2001年 現職
田中総一郎(1964年2月25日生)東北大学小児科 准教授 1989年 東北大学医学部卒業 1992年 国立精神・神経センター武蔵病院小児神経科 1995年 東北大学小児科 1999年 心身障害児総合医療療育センター小児科 2000年 宮城県拓桃医療療育センター小児科 2012年 現職
震災関連の医療機器や資料の展示のお知らせ 学会会場内に災害時に役立つ緊急用の医療・介護機器の展示と実演コーナーを開催します。てんかんの薬などの医療情報を携帯するための「ヘルプカード」、電源を必要としない「手動式吸引器」や「足踏式吸引器」を実際に動かし、その作動方法や吸引圧を体感してください。
また、各地で防災用のパンフレットや「ヘルプカード」などを作成されていると存じます。お互いに紹介することができましたら、各地域での資料作りに役立つと思います。事前に、東北大学小児科田中総一郎soichiro@rose.ocn.ne.jpまでご連絡願います。供覧しやすいように準備します。
抄録全体を表示