抄録
2011年3月の東日本大震災の被害は甚大で、世界中から救援、復旧のために多くの援助と励ましをいただいたことを感謝する。被災地では復興と防災対策に取り組み2年余を経過したが、多くの犠牲を払い未解決の課題を残している。本シンポジウムは災害時に特別な援護を必要とする障害者、特に重症心身障害児(者)が受けた被害状況とその救援・支援について当時の実践者が検証し、今後の大規模災害時の具体的な対策を提言することを目的に企画された。被災当初から支援活動に尽力された5名のシンポジストによって医療、教育、福祉、行政の専門領域の視点から現場の状況と対応を報告し、今後の対策について課題と解決策を提言し、参会者とともに討論を行い、災害弱者への重要な支援策を共有することができた。
シンポジウムの前半は、福島整肢療護園・吉原康診療部長が東日本大震災発災時の福島原発事故による医療施設の緊急対応、主に患者の避難移動状況を報告し、通常時の避難訓練と情報確認の重要性を強調し、宮城県立拓桃支援学校(前石巻支援学校)・櫻田博校長は前任の石巻支援学校で被災し、直後から学校が地域の避難所になった2カ月間の運営を経験し、当時の避難活動の教訓をもとに、特別支援学校の役割と危機管理マニュアルの見直し等を提言した。後半は、社会福祉法人りとるらいふ・片桐公彦理事長が2007年中越沖地震等において被災地の障害者福祉施設の支援活動の実績から、東日本大震災直後から障害者入所施設での外部からの支援をビジターコーディネートとして組織的に実践したことを報告するとともに、災害時のコーディネート機能の特性と重要性を述べ、東北大学小児科(前宮城県拓桃医療療育センター小児科医療部長)・田中総一郎准教授は発災直後から被災地の障害児(者)、施設、支援者等と連携し、切迫する現場のニーズに応え活動した経験をもとに実効ある支援体制と緊急用の医療介護機器の活用等具体的な支援内容を提示した。最後に福井県総合福祉相談所(前厚生労働省障害福祉課障害児支援専門官)・光真坊浩史判定課長は当時、厚生労働省で障害者支援業務を担当し、被災地の障害のある人々および障害福祉サービス事業所の被害状況の把握、支援体制の整備等に従事した経験から現状を再考し、現場ニーズの迅速な集約と救援の組織的対応をきめ細かに実践する重要性を強調された。
東日本大震災の情報は、岩手、宮城、福島の3県が主たる被災地として集約されているが、全国集計(2013年4月10日警察庁発表)では死者15,883人、行方不明者2,681人であり、要援護者である福祉サービス利用者の死亡・行方不明者は54人(2012年10月現在)であった。注目すべきことは、障害のある人が災害時の被害者になる割合が高かったことである。東北3県の沿岸31自治体の調査では被害者数の割合が一般人0.8%に対して障害者手帳所持者は1.5%で約2倍であった(2012年9月24日付、河北新報)。
これらの報道や調査公表に含まれない被害者も多数あったと推測されるが、自力ないし家族の支援のみで避難ができない高齢者、障害者を災害時に支援する「要援護者避難支援計画」について東北3県の沿岸37自治体を対象とした調査では、計画を策定していた24自治体のうち10自治体が「実際には役立たなかった」と回答している(2013年4月、共同通信社)。また、医療を要する障害児113家庭での「福祉避難所」所在の周知度20%、利用者0%と示されたように、重症心身障害児(者)・災害弱者への災害対策は住み慣れた地域での生命と生活の保障のために実効性のある包括的支援体制の整備が喫緊に必要である。