本研究の概要は, 以下の通りである. すなわち, 大妻学校校主大妻良馬の祖先である大妻太郎兼澄公が御祭神となっている大妻神社でのこれまでの調査から, 正史では, 太郎兼澄は承久の乱(1221年)において, 木曽川敗走後, 山に入り果てたとされているが, 大妻女子大学博物館の調査により, 郷土史家小穴芳美氏(既に他界)による「生きて後鳥羽上皇とともに隠岐に流された」とする講演資料などが明らかとなり, また別資料(太郎兼澄公を主題とする筑前琵琶)から, 承久記以外にも, 太郎兼澄の承久の乱以後の行動の記載が示唆されてきた. そこで, これら資料を中心に, 専門家への協力を仰ぎ, 内容確認としての調査を行ったことが本研究の概要である. さらにこれまでの調査から, 昭和39年に大妻コタカが大妻神社拝殿改築を記念して植樹した杉の木を同定することができ, 本研究年度にあたる平成26年9月23日, 大妻神社において, 大妻コタカ生誕130周年記念行事の一環として, 植樹記念碑を多くの関係者に披露することができた. 本研究の成果は, 大妻学院史としての価値はもちろんのこと, 太郎兼澄公のみならず後鳥羽上皇の晩年の歴史的事実にも係る内容を含むものであり, 本研究成果の学術的価値は高いと考えている.
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